本日は、歴史教室の課外授業で、Marburug(マールブルク)へ行ってきました
中央駅から電車
に乗って、約1時間。
まずは、『エリーザベト教会』に向かいました。13世紀に建築された、ドイツで最古のゴシック建築の教会だそうです。
入口の扉も、歴史あるもの。彫刻も細かく気品があり、扉もとても素敵なものでした

扉の裏側は、このようなマークが描かれています。・・・これは
白地に黒十字は、ドイツ騎士団のマークですが、その中に黄色の十字と中心に皇帝の象徴、ワシのマークがあるのは、ドイツ騎士団の騎士団長のしるしです。なぜ、このようなものがあるかといいますと、この教会が祀っているエリーザベトの夫の弟が、第5ドイツ騎士団の騎士団長コンラッドだったため
よってこの教会にはドイツ騎士団と縁が深いのです。
さて、親廊の奥正面には、エルンスト・バーラッハ作の十字架のキリスト像があります。一般の信者は、ここでミサのお祈りなどをしていましたが、この奥側には一般の人が入れない内陣と祭壇があるのです

それがこちら。ドイツ騎士団に縁が深い、と上述しましたが、騎士団員たちは、一般の人とは別に、この奥の祭壇でミサなどをとりおこなっていたそうです
中央に、ドイツ騎士団の印の十字がありますね、、、(ちょっとブレた
)

背景として明るくなりすぎて、写っていないのですが、この祭壇の奥の右側後方のステンドグラスには、エリーザベトの生涯の物語や、彼女の善行の姿が描かれています。これらの内容を説明いただいてから、この見学ができたので、とてもわかりやすく、興味深い見学となりました
この2枚の写真は、騎士団と一般の人が祈る場所が別れていたことを説明するのに、わかりやすいので連続で並べてみましたが、実際には表側の一般人の祈りの場所から、2枚目の祭壇があるところまで入っていくには入場券が必要になります。奥に入って行く前に、先生が、エリーザベトの生涯について、説明をしてくださいました。(下記にまとめた彼女の生涯が、上述のステンドグラスに描かれていたり、アイゼナハのヴァルトブルク城のフレスコ画に描かれていたりするそうです)。
エリーザベトの生涯: ハンガリーの王女だったエリーザベトは、4歳の時にチューリンゲン方伯の所に輿入れし、幼馴染として育った彼とアイゼナハで14歳で結婚し、ヴァルトブルク城で生活する。フランシスコ修道会の教えに感銘し、貧しい人やライ病患者のために、力を注ぐ。しかし夫は十字軍遠征で戦地へと赴き、彼女が21歳の時に遠征先で疫病により亡くなる。そのため、相続争いなどにより、3人の子どもとともに、ヴァルトブルク城を追われてしまう。その後、マールブルクに移り住み、相続した財産でマールブルクに貧しい人のための病院を建て、そこで自らも看病に携わり、激務がたたって24歳で若くして病気でなくなる。亡くなった彼女の遺体に触れた人には、歩けなかったのに歩けるようになったり、目が見えなかったのに見えるようになったりなどの奇跡が起きたという伝説が沢山残され、没後、わずか4年という異例の早さで、エリーザベトは聖人に列せられた。聖人になる儀式(遺体を再び取り出し、冠をつけて煌びやかな棺に移される)には、その時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が懺悔の衣装にて参列したので、フリードリヒ2世がマールブルクを訪れた記録が残っている。ドイツ騎士団により、彼女が建てた病院の跡地に、彼女を祀るための聖エリーザベト教会が建立された。
こういった方なので、彼女は聖母マリア様についで、人気のある女性聖人なのだそうです。マールブルクには、大きな盲学校などがあるのも、こうした歴史的経緯からなのだそうです。また、いろんな街に、「聖エリーザベト病院」という病院があるのも、名前の由来は彼女だそう。
入場券が必要な場所に入っていく、入口のところには聖エリーザベトの像が。左手に、エリーザベト教会を持っています
(そしてやはり、暗いのでちょっとブレちゃう
)

まずはエリーザベトの内陣があり、エリーザベトが亡くなったあと、遺体が安置されていた場所に、このような彫刻が。聖女エリーザベトを取り囲むキリストや皇帝、司教などの人々の中に、黒い十字がある白い衣を着た人がいますが、彼がドイツ騎士団長です。

そして、棺の下側に小さな4人の人が描かれていますが、松葉杖だったり四つん這いであったりなど、身体が不自由な方々で、彼女の遺体の奇跡に触れるために、多くの人が集まったことを現しています。
さて、更に奥に入っていきますと、ドイツ騎士団が祈る場所、中央祭壇があり、その左側の小部屋に、聖エリーザベトの聖遺物である、黄金の棺があります(これもブレて、、、
)。

キリストや12使徒たちが彫られた面が正面に向けてありますが、豪華な宝石類が散りばめられています。この裏面などは、宝石類が運んでくるまでの間に盗難にあい、なくなっているので、豪華な面を正面に持ってきているのですって
聖エリーザベトは、この写真の左側面に彫られているのですが、正面からは見えないので、彼女が見えるように左側に鏡が置いてありました。訪れた人は、この鏡に映った彼女の像を見ることができます
エリーザベトの内陣と反対側には、歴代のヘッセン方拍の棺が置かれた、方伯内陣があります。
一番手前が、第5ドイツ騎士団長、コンラッドのものです。ドイツ騎士団の黒十字の盾や、ヘッセン州の紋章に描かれている、赤と白のストライプの立ち上がる獅子の盾がありますね(帰って写真を見て気付いた
)。棺には彩色が施されていて、かなり剥げていますがこれはオリジナルの色が残っているそうです
裏話としては、この教会のすぐ傍に川が流れているので、氾濫するとこの墓所は浸水し、かつて石棺の中身がすべて溢れ出したことがあり、今は誰の骨がどこに入っているのか、混ざってしまっている状況になっているんだそうです、、、
教会を出まして、振り返ってみますと、やはり、威風堂々とした立派な姿でした。

教会を出て、緩やかな坂道を登り、趣のある市庁舎と、銅像の立っている噴水(現在は花壇のようですが)があるマルクト広場に出ました。

この、銅像の人、誰だろうね~、と一緒に行っていたお友達と話をしていたら、後でわかりましたよ
市庁舎の壁には、施しを受けた貧しい人とともに左手に教会を持つ聖エリーザベトの彫刻が埋め込まれていました。
市庁舎の左手側には、女性の銅像が。聖エリーザベトの娘、ゾフィーの像です。

彼女は、エリーザベトが城を追われた後のチューリンゲン方伯(ゾフィーの叔父)が嫡子なく亡くなった時に、他のいとこと後継争いをして、ヘッセン州をチューリンゲンから分割して勝ち取ったそうです
上の銅像は、彼女が騎馬にまたがり、鎧を身に付けた姿
ヘッセン州は、彼女によって始まった、という、なんて強い女性なのだ
さて、マルクト広場を出て、歩いて丘の上に登っていきました
目指すは、Landgrafenschloss(方伯城)です
途中から、けっこうな急坂になり、石畳がぼこぼこしてるので、歩きやすい靴がオススメです
急な坂道、上からとってみました~
伝わるかしら

到着~
内部は博物館になっています

眺めが素晴らしい
晴れててよかった~

博物館には、ドイツの人々の日常生活に使われた様々な年代のものが展示されている階と、武器関係が展示されている階があります。最も、先生がみんなに見せたかった目玉品がこちら

ドイツ騎士団長コンラッドの、実際に使用していた盾
ガラスケースに入っていて、映り込みがあって見難いのですが、立ち上がった獅子にうっすらと紅白の縞が見えます。そして、左下には白い盾に黒十字のドイツ騎士団の盾の印も
木のベースに、皮を貼ってクッションにし、敵の剣を受けた時の衝撃を緩和する構造です。
見学を終えて、ちょうど13時にお城のすぐ手前にある高台のレストランへ
テラス席、とっても気持ちが良さそう
この日は、気温が低く、風も冷たいので店内での食事でしたが、このテラスでビール
も、美味しそうです
(私はお酒飲まないんだけど、ここ、ビアガーデン&レストランって表記になってて、飲む人は心弾むと思われます
)
そして、私は今年初です
ドイツの春野菜の女王、シュパーゲルをいただきました
昨年度体験し、とっても大好きな食べ物となったシュパーゲル
このお店のは、とっても新鮮だったのだと思います、アクの苦味なんて微塵もなく、とっても甘くてジューシー
初物がこんなに美味しいなんて、幸せいっぱい
そして、オランデーズソースもバターソースも両方楽しみ、じゃがいももソースかけてたっぷりいただき、オリーブ入りとオリーブなしの2種類のパンも、バターつけたりソースつけたりしながら、いただいちゃって、、、超満腹でした
食べ過ぎた~、でも、美味しかったもん、しょうがない
だって、どうしてもやめられなかったんだもーん
さて、我ら一行、駅に向かう前に、もう一箇所、、、

創業100年を超える、老舗の人気カフェへ
美味しそうなケーキがずら~り
・・・しかし
みなさんの期待を裏切りますが、なんと、私、この日はケーキ、買わなかったの~
単に、シュパーゲルを食べ過ぎた罪悪感と反省から、という噂も・・・
皆様、ほぼ全員が何かをお買い求めになられていましたが、私、自分に厳しく、この日は我慢しました
後になって、ちょっとだけ、後悔しましたけどね、、、
(さすが老舗、やはり美味しかったらしいです)
こうして、楽しいマールブルクの遠足は、充実した一日となったのでした
教会、もう少しゆっくり見たかったくらい、興味深く面白かったです
中央駅から電車
に乗って、約1時間。まずは、『エリーザベト教会』に向かいました。13世紀に建築された、ドイツで最古のゴシック建築の教会だそうです。
入口の扉も、歴史あるもの。彫刻も細かく気品があり、扉もとても素敵なものでした

扉の裏側は、このようなマークが描かれています。・・・これは
白地に黒十字は、ドイツ騎士団のマークですが、その中に黄色の十字と中心に皇帝の象徴、ワシのマークがあるのは、ドイツ騎士団の騎士団長のしるしです。なぜ、このようなものがあるかといいますと、この教会が祀っているエリーザベトの夫の弟が、第5ドイツ騎士団の騎士団長コンラッドだったため
よってこの教会にはドイツ騎士団と縁が深いのです。さて、親廊の奥正面には、エルンスト・バーラッハ作の十字架のキリスト像があります。一般の信者は、ここでミサのお祈りなどをしていましたが、この奥側には一般の人が入れない内陣と祭壇があるのです

それがこちら。ドイツ騎士団に縁が深い、と上述しましたが、騎士団員たちは、一般の人とは別に、この奥の祭壇でミサなどをとりおこなっていたそうです
中央に、ドイツ騎士団の印の十字がありますね、、、(ちょっとブレた
)
背景として明るくなりすぎて、写っていないのですが、この祭壇の奥の右側後方のステンドグラスには、エリーザベトの生涯の物語や、彼女の善行の姿が描かれています。これらの内容を説明いただいてから、この見学ができたので、とてもわかりやすく、興味深い見学となりました
この2枚の写真は、騎士団と一般の人が祈る場所が別れていたことを説明するのに、わかりやすいので連続で並べてみましたが、実際には表側の一般人の祈りの場所から、2枚目の祭壇があるところまで入っていくには入場券が必要になります。奥に入って行く前に、先生が、エリーザベトの生涯について、説明をしてくださいました。(下記にまとめた彼女の生涯が、上述のステンドグラスに描かれていたり、アイゼナハのヴァルトブルク城のフレスコ画に描かれていたりするそうです)。
エリーザベトの生涯: ハンガリーの王女だったエリーザベトは、4歳の時にチューリンゲン方伯の所に輿入れし、幼馴染として育った彼とアイゼナハで14歳で結婚し、ヴァルトブルク城で生活する。フランシスコ修道会の教えに感銘し、貧しい人やライ病患者のために、力を注ぐ。しかし夫は十字軍遠征で戦地へと赴き、彼女が21歳の時に遠征先で疫病により亡くなる。そのため、相続争いなどにより、3人の子どもとともに、ヴァルトブルク城を追われてしまう。その後、マールブルクに移り住み、相続した財産でマールブルクに貧しい人のための病院を建て、そこで自らも看病に携わり、激務がたたって24歳で若くして病気でなくなる。亡くなった彼女の遺体に触れた人には、歩けなかったのに歩けるようになったり、目が見えなかったのに見えるようになったりなどの奇跡が起きたという伝説が沢山残され、没後、わずか4年という異例の早さで、エリーザベトは聖人に列せられた。聖人になる儀式(遺体を再び取り出し、冠をつけて煌びやかな棺に移される)には、その時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が懺悔の衣装にて参列したので、フリードリヒ2世がマールブルクを訪れた記録が残っている。ドイツ騎士団により、彼女が建てた病院の跡地に、彼女を祀るための聖エリーザベト教会が建立された。
こういった方なので、彼女は聖母マリア様についで、人気のある女性聖人なのだそうです。マールブルクには、大きな盲学校などがあるのも、こうした歴史的経緯からなのだそうです。また、いろんな街に、「聖エリーザベト病院」という病院があるのも、名前の由来は彼女だそう。
入場券が必要な場所に入っていく、入口のところには聖エリーザベトの像が。左手に、エリーザベト教会を持っています
(そしてやはり、暗いのでちょっとブレちゃう
)
まずはエリーザベトの内陣があり、エリーザベトが亡くなったあと、遺体が安置されていた場所に、このような彫刻が。聖女エリーザベトを取り囲むキリストや皇帝、司教などの人々の中に、黒い十字がある白い衣を着た人がいますが、彼がドイツ騎士団長です。

そして、棺の下側に小さな4人の人が描かれていますが、松葉杖だったり四つん這いであったりなど、身体が不自由な方々で、彼女の遺体の奇跡に触れるために、多くの人が集まったことを現しています。
さて、更に奥に入っていきますと、ドイツ騎士団が祈る場所、中央祭壇があり、その左側の小部屋に、聖エリーザベトの聖遺物である、黄金の棺があります(これもブレて、、、
)。
キリストや12使徒たちが彫られた面が正面に向けてありますが、豪華な宝石類が散りばめられています。この裏面などは、宝石類が運んでくるまでの間に盗難にあい、なくなっているので、豪華な面を正面に持ってきているのですって
聖エリーザベトは、この写真の左側面に彫られているのですが、正面からは見えないので、彼女が見えるように左側に鏡が置いてありました。訪れた人は、この鏡に映った彼女の像を見ることができます
エリーザベトの内陣と反対側には、歴代のヘッセン方拍の棺が置かれた、方伯内陣があります。
一番手前が、第5ドイツ騎士団長、コンラッドのものです。ドイツ騎士団の黒十字の盾や、ヘッセン州の紋章に描かれている、赤と白のストライプの立ち上がる獅子の盾がありますね(帰って写真を見て気付いた
)。棺には彩色が施されていて、かなり剥げていますがこれはオリジナルの色が残っているそうです
裏話としては、この教会のすぐ傍に川が流れているので、氾濫するとこの墓所は浸水し、かつて石棺の中身がすべて溢れ出したことがあり、今は誰の骨がどこに入っているのか、混ざってしまっている状況になっているんだそうです、、、

教会を出まして、振り返ってみますと、やはり、威風堂々とした立派な姿でした。

教会を出て、緩やかな坂道を登り、趣のある市庁舎と、銅像の立っている噴水(現在は花壇のようですが)があるマルクト広場に出ました。

この、銅像の人、誰だろうね~、と一緒に行っていたお友達と話をしていたら、後でわかりましたよ
市庁舎の壁には、施しを受けた貧しい人とともに左手に教会を持つ聖エリーザベトの彫刻が埋め込まれていました。
市庁舎の左手側には、女性の銅像が。聖エリーザベトの娘、ゾフィーの像です。

彼女は、エリーザベトが城を追われた後のチューリンゲン方伯(ゾフィーの叔父)が嫡子なく亡くなった時に、他のいとこと後継争いをして、ヘッセン州をチューリンゲンから分割して勝ち取ったそうです
上の銅像は、彼女が騎馬にまたがり、鎧を身に付けた姿
ヘッセン州は、彼女によって始まった、という、なんて強い女性なのだ
さて、マルクト広場を出て、歩いて丘の上に登っていきました
目指すは、Landgrafenschloss(方伯城)です
途中から、けっこうな急坂になり、石畳がぼこぼこしてるので、歩きやすい靴がオススメです
急な坂道、上からとってみました~
伝わるかしら

到着~
内部は博物館になっています
眺めが素晴らしい
晴れててよかった~

博物館には、ドイツの人々の日常生活に使われた様々な年代のものが展示されている階と、武器関係が展示されている階があります。最も、先生がみんなに見せたかった目玉品がこちら

ドイツ騎士団長コンラッドの、実際に使用していた盾
ガラスケースに入っていて、映り込みがあって見難いのですが、立ち上がった獅子にうっすらと紅白の縞が見えます。そして、左下には白い盾に黒十字のドイツ騎士団の盾の印も
木のベースに、皮を貼ってクッションにし、敵の剣を受けた時の衝撃を緩和する構造です。見学を終えて、ちょうど13時にお城のすぐ手前にある高台のレストランへ

テラス席、とっても気持ちが良さそう
この日は、気温が低く、風も冷たいので店内での食事でしたが、このテラスでビール
も、美味しそうです
(私はお酒飲まないんだけど、ここ、ビアガーデン&レストランって表記になってて、飲む人は心弾むと思われます
)そして、私は今年初です
ドイツの春野菜の女王、シュパーゲルをいただきました
昨年度体験し、とっても大好きな食べ物となったシュパーゲル
このお店のは、とっても新鮮だったのだと思います、アクの苦味なんて微塵もなく、とっても甘くてジューシー
初物がこんなに美味しいなんて、幸せいっぱい
そして、オランデーズソースもバターソースも両方楽しみ、じゃがいももソースかけてたっぷりいただき、オリーブ入りとオリーブなしの2種類のパンも、バターつけたりソースつけたりしながら、いただいちゃって、、、超満腹でした
食べ過ぎた~、でも、美味しかったもん、しょうがない
だって、どうしてもやめられなかったんだもーん
さて、我ら一行、駅に向かう前に、もう一箇所、、、

創業100年を超える、老舗の人気カフェへ
美味しそうなケーキがずら~り
・・・しかし
みなさんの期待を裏切りますが、なんと、私、この日はケーキ、買わなかったの~
単に、シュパーゲルを食べ過ぎた罪悪感と反省から、という噂も・・・
皆様、ほぼ全員が何かをお買い求めになられていましたが、私、自分に厳しく、この日は我慢しました
後になって、ちょっとだけ、後悔しましたけどね、、、
(さすが老舗、やはり美味しかったらしいです)こうして、楽しいマールブルクの遠足は、充実した一日となったのでした

教会、もう少しゆっくり見たかったくらい、興味深く面白かったです

・・・今日は(も






「お腹空いてる時に来たい~
につながるのに、、、





















もう4月なのに、びっくり。確かに、寒かったけどね、、、この2日間。





