Stabat Mater
先日より、耳に残っていて、どうしても、作曲者が思い出さなくてイライラしていた。
Starat Mater(悲しみの聖母)
宗教音楽としては、有名な題名で、600曲位あるのだという。
といっても、有名どころは10曲ほどだろうが、自分の持ちCDのなかから、とりあえず探して、聞いてみた、探せばあるものですね。
Pergolesi,D.Scarlatti,Vivaldiのバロックから、Dvorakから、最近購入した、Pendereckiの「ルカ受難曲」のなかにも、
結局、探していたのは、Verdiの「聖歌四篇」の2曲めの「悲しみの聖母」だった。
ここまで、自分のCDを整理してないと、収拾が着かない。探せばあるもんだと思った反面、いい加減に聞いていたんだなっと反省。
Stabat Mater dolorosa
juxta crucem lacrimosa,
dum pendebat Filius,
cujus animam gementem,
contristantem et dolentem,
pertransivit gladius
あっ、わたしは、クリスチャンではありません。
そういえば、昨日のコンサートの件、かこさんが、客席のCyntjiaにマイク向けて、1小節程歌ったって言う状況のようです。
難しい、判断ですね。厳しい批評をするなら、「余計なお世話」
麻丘さんのファンにとっては、最高のゲストになったのでしょうが、いくら、戦友と言っても、かたや、除隊したもの、改めて戦場に引っ張り出されて、それが、「麻丘第50師団」というのは、復隊するからには、「Cynthia17連隊」てか?
「この街は、戦場だから、男は傷を負った戦士」おっと、これは、聖母たちのララバイ
こんな、オチでいいのか?
Starat Mater(悲しみの聖母)
宗教音楽としては、有名な題名で、600曲位あるのだという。
といっても、有名どころは10曲ほどだろうが、自分の持ちCDのなかから、とりあえず探して、聞いてみた、探せばあるものですね。
Pergolesi,D.Scarlatti,Vivaldiのバロックから、Dvorakから、最近購入した、Pendereckiの「ルカ受難曲」のなかにも、
結局、探していたのは、Verdiの「聖歌四篇」の2曲めの「悲しみの聖母」だった。
ここまで、自分のCDを整理してないと、収拾が着かない。探せばあるもんだと思った反面、いい加減に聞いていたんだなっと反省。
Stabat Mater dolorosa
juxta crucem lacrimosa,
dum pendebat Filius,
cujus animam gementem,
contristantem et dolentem,
pertransivit gladius
あっ、わたしは、クリスチャンではありません。
そういえば、昨日のコンサートの件、かこさんが、客席のCyntjiaにマイク向けて、1小節程歌ったって言う状況のようです。
難しい、判断ですね。厳しい批評をするなら、「余計なお世話」
麻丘さんのファンにとっては、最高のゲストになったのでしょうが、いくら、戦友と言っても、かたや、除隊したもの、改めて戦場に引っ張り出されて、それが、「麻丘第50師団」というのは、復隊するからには、「Cynthia17連隊」てか?
「この街は、戦場だから、男は傷を負った戦士」おっと、これは、聖母たちのララバイ
こんな、オチでいいのか?
罪と音楽
小室哲哉氏が幻冬舎より刊行、が話題となっていたので、少々読んでみた。
事件に関することは、残念ながら音楽と関係ないので、個人的に済んだこと、ここでは触れません。
以前も、何処かで、小室氏は「天から音楽が降って来る」旨の発言があったことを記憶している。
現在、判決後40曲(歌詞がついている物は内20曲)だとうい。
彼の素質や才能の善し悪しは、ヒットするどうかであり、いわゆる"大衆が判断してくれる"であるが、
天から降って来る、メロディーをそのまま作品とすれば良いのだから、ある意味楽な作業のように思える。
POPSは、音楽形式上は一番保守的な分野だとおもう、特に、日本の音楽産業は、がちがちの規制の上で作られている。
その形式をしっかり身につけ計算し尽くせば、意外に曲つくりと言う物が簡単にいく。その意味でいえば、小室氏の作曲法は計算し尽くされたものであることは、言うまでもない。
理論を分析し楽式をきちんと構成さえすれば、必然と天から曲は降って来る。(その曲の評価は、もちろん別のことですが)
彼は、本のなかで、CM曲などを、テンポから分析している。例えば、15秒のCM曲なら、テンポ幾つで4部音符幾つというふうに。
時間、テンポが決まる。勿論、通常のPOPSで、使用される、音域がある程度制限されば、調性も自ずから限られる。
制限だらけなのである。そうなると、一定の式の中から答えを出すしかない。
彼の音楽はそんな、式の中で生み出されているように思える。果して、彼の導き出した式の答えが、大衆の求める答えと一致するか否かである。これを誤ると幾ら曲を作っても全滅となり兼ねない。
反して、クラシックと言われる分野の新作は、この逆ではないか、一番前衛的で革新的なのかもしれない、如何にに作られた式を壊すかにかかっている。だから、なかなか、大衆に受け入れづらい。
お互いに、良きヒントがあるかもしれない。
それにしても、かこさんのコンサートでCynthiaが歌うのは、違反だよね!
何か、裏切られたような『罪』だよね。
ちょい「くやしいです!」
事件に関することは、残念ながら音楽と関係ないので、個人的に済んだこと、ここでは触れません。
以前も、何処かで、小室氏は「天から音楽が降って来る」旨の発言があったことを記憶している。
現在、判決後40曲(歌詞がついている物は内20曲)だとうい。
彼の素質や才能の善し悪しは、ヒットするどうかであり、いわゆる"大衆が判断してくれる"であるが、
天から降って来る、メロディーをそのまま作品とすれば良いのだから、ある意味楽な作業のように思える。
POPSは、音楽形式上は一番保守的な分野だとおもう、特に、日本の音楽産業は、がちがちの規制の上で作られている。
その形式をしっかり身につけ計算し尽くせば、意外に曲つくりと言う物が簡単にいく。その意味でいえば、小室氏の作曲法は計算し尽くされたものであることは、言うまでもない。
理論を分析し楽式をきちんと構成さえすれば、必然と天から曲は降って来る。(その曲の評価は、もちろん別のことですが)
彼は、本のなかで、CM曲などを、テンポから分析している。例えば、15秒のCM曲なら、テンポ幾つで4部音符幾つというふうに。
時間、テンポが決まる。勿論、通常のPOPSで、使用される、音域がある程度制限されば、調性も自ずから限られる。
制限だらけなのである。そうなると、一定の式の中から答えを出すしかない。
彼の音楽はそんな、式の中で生み出されているように思える。果して、彼の導き出した式の答えが、大衆の求める答えと一致するか否かである。これを誤ると幾ら曲を作っても全滅となり兼ねない。
反して、クラシックと言われる分野の新作は、この逆ではないか、一番前衛的で革新的なのかもしれない、如何にに作られた式を壊すかにかかっている。だから、なかなか、大衆に受け入れづらい。
お互いに、良きヒントがあるかもしれない。
それにしても、かこさんのコンサートでCynthiaが歌うのは、違反だよね!
何か、裏切られたような『罪』だよね。
ちょい「くやしいです!」
