論文原稿
どうにか原稿をあげて、文章チェックにまわした。
いつもありがとね。
ここ知らないだろうけど、お礼おば、
日本語の専門なので、内容はともかく、誤字脱字、文章表現の間違いなどは指摘してもらえる。
書いた本人は、これで正しいと思っているから、なかなか、自分の文章の間違いに気づきにくい。
枚数もこれから論文に必要ページ34枚に注釈を加えるから40枚前後を見てもらうことになる。
50,000字を超える。大変な作業だと思う。
いつも、わずかな京都土産でごまかしている(笑)
さて、本論も書かねば、
台風で延期された某資格試験は10月中旬になった。
そう考えると、猶予は一か月ほど。九月末には仕上げないと、11月の発表に間に合わない。
と自分を追い込んで書くのである。
最近の癒しは乃木坂(笑)
きょうは、まいやんとまなったんの誕生日だそうで、おめでとう。
そういや、先日大学の学科の同窓会の連絡があって、当初参加するつもりだったっけど、
同じ専攻のだれも参加しないんだって、唯一同期の男も忙しいから不参加なんだって。
話す人いないしおっさん一人じゃ行きにくいから断った。
で、唯一の学科同期の男の消息をネットで調べてたら、そいつのブログ発見。
この3年間更新されていない(笑)
で、3年前に学部の同期の同総会があったようだ、初耳だったが、近県の所在の分かる人だけにだけに声をかけていたようだ。
3年前にはもうわたしゃ行方不明だっただろうからね。
そこに集合写真が掲載。
で、20人ほど集まったみたいだ、同期って150人くらいいたかな。以外に集まったんだね。
男3人だけ、同期の男って学部全体では、20人くらいいた。
で、こいつ誰だっておばさんばっかり(笑)
お互いにショックなんだろうね。やっぱ辞退は正解か?
30年は長い(笑)
May.J vs 松たか子
巷では、May.Jの
ありのーままのー
と、松たか子の
ありのーままのー
が比較され松たか子に軍配が上がっている状況。
May.Jは歌がうまいが伝わらない
とする声が多い。
わたしは、けっして、松たか子がMayJに劣るとは思わない。
カラオケを歌ううえで、その評価基準は、日本語の表現能力ではない。
音楽的な表現の数値による評価でしかない。
松たか子がいいというのは、日本語の発音をきちんと意識して歌っていることになる。
MayJの歌が日本語になっていないというわけではない。
日本語のイントネーション、強弱、日本語が持つ障りをきちんと意識して歌っている。
さわり とは、微妙な言葉の一語一語に着く異音、擬音なのである。
松たか子は正確に音程をとることより、言葉の障りを大事に歌っているのである。
それは、日本人にとって感情的に判断されるところなのだ。
MayJは音程にをとることに抑揚を加えることで訴えようとしている。
抑揚は時に日本人にはうざく聞こえる。
たとえば、
「姿見せるのよ」を歌う場合
♪♪♪♪♩ ♪♪‿♪♩ ♪‿♩ 休符
みせーる
の 「せー」 は 「せぇ一」 と歌う
子音の s が前打音となって、微妙にすくいあげる。
演歌だったら意図的に子節づけするだろう。
るーのーよー
のシンコペーション、洋楽ではアクセントがつく。
しかし、日本語としては、
「の」 と 「 よー」をグリッサンド気味にスラーでつなぐ。
本来の日本語の特色をできるだけ表現しようとすることで感情が伝わる。
音程を性格に取ろうとすればするほど、この日本語の特性は失われる。
西洋音楽の七音階は平均律である。
しかし、日本人は古くより五音階に親しんできた。
それは、ドとファの間に音を一つ置くという音階である。
この一つ置く音を微妙かつ巧みに扱うことで日本語を表現してきた。
ヨーロッパ言語が強弱で表すに対して日本語は高低の違いに置く。
雨と飴の違いである。
これを、伝えるためには、微妙な音程操作が必要になる。
そこに、大事にしないと日本語は伝わりにくい。
つまり、音程をある程度の無視しなければ成り立たない。
そこに、MayJの歌がうまいけど伝わらないという原因がある。
それを知らないで、不満を言おうとも受け入れられない。
反感を買う理由だろう。
日本の歌は言葉を優先にしないと伝わらない。
終戦記念日
昨日は69回目の終戦記念日だった。
個人的にあまり聞きたくない、見たくない。
戦争の悲劇、無残さを後世に伝えなければならないのだろうが、
さんざん聞かされてきた。
そらそうだ、私たちの世代の親は戦争体験者なのだ、
これから後の世代には語り継ぐことが必要だろう
でももういい、悲惨な記憶は、
巷で子供が親に虐待される事件を見る
何か伝えなければならないことが違うような気がする
伝えない方がいいのではと思うことさえある。
もう、いいことだけを後の世に伝えられたほうがいいのかもしれない
悲惨なことを伝えなくてもいい日が来ますように。