負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY -108ページ目

『それぞれの椅子』

乃木坂46の2ndアルバム。

発売1週間。


アルバムとしては、糞。


良くある、シングル標題曲と新作を加えるって手法だけど、

その新作がtypeA~Dで11曲、

各typeに振り分け。

限定版には、ライブ映像が、3分割でA~Cにつける。

全部みたけりゃ、「全タイプ買え」っていう商法。


シングルもそうだが、1曲もしくはアルバムでは数曲のため同じ曲を買う羽目に。


まあ握手するため大量におなじCD買わせるんだから今に始まったことではないのだが・・・


しょうがないから、事前の新曲情報から、typeDを買った。

「途切れたライブよりもいいか」というのが一番の理由


どこかで聞いたような新曲ばっかり。


標題曲と全11曲の新曲で1枚のアルバムにできなかったのかねえ。


それか、最近のシングルの全曲でもいい。全タイプ買っていないんだから。



同じもんばっかり、一般人は要らねえよ。

そんなアクドイ商売ばっかりやってるから、

新たなファンがつかず、初期のファンに飽きられたら落ち目になるのがみえている。




曲の旋律と言葉があっていないんだよね。

だから、言葉が生かされなかったり、旋律が生きない。

成立に詞をつける手法の弊害が調整されていない。


シンガーソングライターのように自分で詩、曲を書く場合それを調整する。

ましてや自身が歌うならそこでまた調整される。


秋元康の場合、自身がメロディを選んでそれに詞をつける、その最高決定権をもつんだろう。

秋元のほうから、曲のイメージについては指示を出すのだろうけど、作曲者側の意見がどれほど通るのだろう?

1000曲くらいから選ぶとか言ってたから、秋元の意見が通らない作品は使わないだろうし、

秋元に意見できるほどの立場の人が作曲者側にもいないんだろう。


AKBを含めて多くの曲を聞くが、秋元本人が曲を書いていない、編曲をしていない。

それでも、選んでいる曲にどこか共通した傾向がある。

たぶん、聞く側も理屈ではわからなくとも感じている。


どこかむかしの曲の焼き直しなんだ。

それは、秋元康の今までの蓄積からの選択。


そのどこか懐かしい歌謡曲の残り香に慣れてしまった。

つまり、飽きてきた。

それでも、作るんだから、ますます出来不出来がはっきりするだろう。

それも、不出来の比率は増すばかり。


もう、秋元康のセンスに新しいもの、いや新しいと思わせるものを期待できそうもない。


さあ、「サイレントマジョリティー」を超えるものができるか?

たぶん、AKB、坂グループ含め世間で話題にされるものは今年はないと思う。


何十枚売れようが、聞かれているのは数曲でそれが入っている何十分の1のCD。

何十、何百枚売れようが、CDプレイヤーで繰り返し回されたCDは、いったいそのうちの何%なんだろう?


歌がうまい王座決定戦

決勝に、佐藤仁美が残った時点で、

佐藤仁美が優勝するんじゃないかと思ったけど、


やっぱり、


番宣の話をカットしなかったから、たぶん優勝するなと思った。



個人的意見だが、


ニッチェがうまかった。

とくに、ハモリの方。


斎藤さんは、どっかためらったんだろうね。

笑いをとるかとらないかで、、、、、


つまり、テレビ写りの上では決勝まで来れば目的は達した。

お笑いの取っては、優勝して、はおいしくないからね。



斎藤さんが全編通して一番うまいんじゃないの。


まあ、バラエティだから、そこはおもしろく取ろう。





舛添氏は金のかからない政治の実践者

舛添さんの政治資金の問題。


セコイ


とか、


ネコババ


とか。


色々悪評のようで。

しかし、法律的には問題がないようである。



舛添さんは、常々、金のかからない政治を目指していた、


金ほか駆らない政治をすれば、政党助成金などの政治資金を使わないで済む。

それを合法的にネコババできる今の規制。


金のかからない政治をすれば、自らの懐が潤うわけだ。



金がかかる政治で、身銭を切らねば政治ができない方がいいのかも。





と皮肉を言う。


国民のほとんどに舛添さんをどうこうする権限はない。

都民が考えることだ。


なんか政治はおかしい。