『それぞれの椅子』
乃木坂46の2ndアルバム。
発売1週間。
アルバムとしては、糞。
良くある、シングル標題曲と新作を加えるって手法だけど、
その新作がtypeA~Dで11曲、
各typeに振り分け。
限定版には、ライブ映像が、3分割でA~Cにつける。
全部みたけりゃ、「全タイプ買え」っていう商法。
シングルもそうだが、1曲もしくはアルバムでは数曲のため同じ曲を買う羽目に。
まあ握手するため大量におなじCD買わせるんだから今に始まったことではないのだが・・・
しょうがないから、事前の新曲情報から、typeDを買った。
「途切れたライブよりもいいか」というのが一番の理由
どこかで聞いたような新曲ばっかり。
標題曲と全11曲の新曲で1枚のアルバムにできなかったのかねえ。
それか、最近のシングルの全曲でもいい。全タイプ買っていないんだから。
同じもんばっかり、一般人は要らねえよ。
そんなアクドイ商売ばっかりやってるから、
新たなファンがつかず、初期のファンに飽きられたら落ち目になるのがみえている。
曲の旋律と言葉があっていないんだよね。
だから、言葉が生かされなかったり、旋律が生きない。
成立に詞をつける手法の弊害が調整されていない。
シンガーソングライターのように自分で詩、曲を書く場合それを調整する。
ましてや自身が歌うならそこでまた調整される。
秋元康の場合、自身がメロディを選んでそれに詞をつける、その最高決定権をもつんだろう。
秋元のほうから、曲のイメージについては指示を出すのだろうけど、作曲者側の意見がどれほど通るのだろう?
1000曲くらいから選ぶとか言ってたから、秋元の意見が通らない作品は使わないだろうし、
秋元に意見できるほどの立場の人が作曲者側にもいないんだろう。
AKBを含めて多くの曲を聞くが、秋元本人が曲を書いていない、編曲をしていない。
それでも、選んでいる曲にどこか共通した傾向がある。
たぶん、聞く側も理屈ではわからなくとも感じている。
どこかむかしの曲の焼き直しなんだ。
それは、秋元康の今までの蓄積からの選択。
そのどこか懐かしい歌謡曲の残り香に慣れてしまった。
つまり、飽きてきた。
それでも、作るんだから、ますます出来不出来がはっきりするだろう。
それも、不出来の比率は増すばかり。
もう、秋元康のセンスに新しいもの、いや新しいと思わせるものを期待できそうもない。
さあ、「サイレントマジョリティー」を超えるものができるか?
たぶん、AKB、坂グループ含め世間で話題にされるものは今年はないと思う。
何十枚売れようが、聞かれているのは数曲でそれが入っている何十分の1のCD。
何十、何百枚売れようが、CDプレイヤーで繰り返し回されたCDは、いったいそのうちの何%なんだろう?