呪詛を語るには、仏教の歴史から説明しなければならないかもしれません・・・・
ちなみに私は仏教を学んだことはありません。
ある程度力があっても不可能かもしれませんが、
あるレベルや段階を超えた能力者が皆、物知りである理由と同じです。
仏教の経典には、どんなことが書いてあるのか、ほとんどの人が知らないと思いますが
それは、人の一生について書いているものです。
一生とは言っても、いろいろです。色々な人生があります。
1人では無理なので、数千人の僧侶が、それぞれのコトについて書き上げていったのです。
コトとは、
性欲、物欲、生き欲、憎しみ、悲しみ、喜び、出産、勉学、結婚・・・
すべての人間について書き上げていったのです。
その中に、呪詛もあったのです。
呪詛といっても、いろんな種類、いろんな言葉、いろんな模様形があり、それらを経典に仕上げていったのです。
呪詛の研究を行なう僧侶も何十人もいたのでしょうが、その術を研究する中で、実践をもちろんやっていたことでしょう。
優、良、可などの成績表があったかどうかは定かではありませんが、どの呪詛を唱えどの者が唱えた時にどんな結果が出るのか・・・それらをいろいろ試行錯誤し、作り上げていった経典があったはずです。
それらを日本に持ち込む時、日蓮さんは数千点の経典を1点にまとめた・・・
しかし、親鸞さんはそうではなく多くの経典を持ち帰った。
ここまでは史実でしょう。
お経に力が無いのと同じで、呪詛も同じです。
力があるものが、その呪詛をコントロールし扱うから効果があるのです。
現実問題、日本において呪詛を使い、コントロールしている者など私達を除くと極々わずかです。
「ある自称霊能力者と離れたのですが、呪詛をかけられていて困っているのです。」という相談を受けたこともありますが、
呪詛をかけれるものなど先ず先ず皆無です。
呪詛ではなく、魔の怒りであり、契約違反の結果、そのようにさまざまな声が聞こえているに過ぎません。
また念力が強い自称霊能力者の場合は、呪詛ではなく、念を飛ばし、生霊となっているに過ぎません。
ただ
本当に
情けない話です。
「私を離れるならば呪い殺す!」などと言っている者が自称霊能力者として活動しているなど考えられないことですが、それが現実なのですね・・・・。
呪詛を使いこなしているものなどなく、つまりそれは、魔に操られ、魔と契約を違反した為の「代償」であるという事なのです。
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