近畿に大和朝廷ができる前に、日本には別の国がありました | 6rosui8のブログ

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●(加治将一)漫画みたいな話でこの国は成り立っている。

https://www.youtube.com/watch?v=U6qfpcHqObM

 

●近畿に大和朝廷ができる前に、日本には別の国がありました。

それは倭国と言い、九州太宰府が首都で500年以上続いた

東アジア最大の文化国家でした。

律令制度も仏教文化も法隆寺も東大寺も薬師寺も、

源氏物語も万葉集古今集もみんな倭国で完成したものです。

 

ところが663年白村江の戦いで敗れ、新羅と唐の占領下におかれ、

ついに672年倭国は滅びました。(壬申の乱)

そして倭国の文化を略奪し、近畿大和朝廷が日本の代表となったのです。

法隆寺や東大寺は略奪物。正倉院御物は倭国の宝物を頂戴したもの。

 

それ以来、歴史は改竄され、近畿天皇王朝が日本の国家発祥から

続いているという物語を国民は信じ込まされてきました。

その物語を守るため馬鹿らしいウソが平然と正当化されたままです。

加治将一が言うように、検査してないのに感染者数を発表するように、

発掘もしていないのにそこを仁徳天皇陵だとしているのが日本です。

 

●清明上河図(故宮博物院)は600年代初期の倭国(博多)

の栄える様子を描いたものだと言われています。

石造のアーチ橋などの築造技術を持っていました。(米田良三氏の説)