みなさん、こんにちは!

まおです飛び出すハート

 

 

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 『【これまでのわたし①】』みなさん、こんにちは〜!まおです  これまでのわたしのストーリーを書かせていただきますお付き合いいただけると嬉しいです!      夢を言えなかった幼少期…リンクameblo.jp


 

 

 

 

 

「コンプレックスの塊」

 

元々、完璧主義が強かったわたし。

深〜い闇に入ります無気力

 

 

 

✅中学生でバスケ部に入ったことで元々細かった体格がガッチリに

✅ホルモンバランスの乱れもあり、髪がとにかく広がり、うねり、パサつく…。

✅ニキビも額から始まり、頬、口元…。

  大きなニキビが顔中に広がりマスクで顔を隠す日々。

 

 

 

 

一方で、美容に目覚める時期。

 

 

 

ティーン雑誌を読み漁り、

(ピチレモン派ふんわりリボン推しでした)

周りの友人と比較しては、

 

 

 

爪の形や、ちょっとした傷跡まで

自分の外見の1つ1つにバツ×

をつけ始めます。

 

 

 

この時期のわたしは

本当に性格悪かったな〜と思うのですが、

 

 

 

「〇〇よりもマシ」

 

 

 

人の悪いところを見つけては

自分の存在価値を必死で保とうとしていました。

 

 

 

「人を褒める」

=「自分の存在価値を否定する」

 

 

素直に「羨ましい」と言えればよかったのに

それもできずに

 

 

嫉妬ばかり

いつも黒〜い黒〜い気持ちでいましたもやもやもやもや

 

 

 

今思うとほんと不幸マインド…不安不安不安

 

 

 

載せるか迷いに迷った高校の卒業式の写真。

勇気を出してえいやっ昇天

 

今よりも+8kg。顔はアンパンマン。

せっかくの晴れ着なのに

可愛い「ピンク」なんてわたしの選択肢にはなく

超地味〜な色の袴を選んでたなあもやもや

 

 

 

「わたしには無理」と諦めた進路

 

 

高校生になり、進路を決める時期。

 

 

母は元々保育士をしていて幼い頃から

「女性も働いて自立しなね」

「何があっても困らないように資格を」

「やりがいがある人と関わる仕事を」

と何度も何度も言われていました。

 

 

今思うと、これも一種の刷り込み…

だけど、自立心が強くなったのも母のおかげ看板持ちありがとー!

 

 

 

母の価値観=わたしの価値観

で進路を選ぶのもこの基準。

 

 

 

 

高校生の狭い選択肢では

「教育関係」「美容関係」「医療・福祉関係」

そんなところかな?

(この時点で視野狭すぎ!とのツッコミは置いておきます…泣き笑い

 

 

 

教育関係は

身近なところに何人かいたので

「比べられそうで嫌」という理由からナシ。

 

 

 

美容関係は、

まさに「キラキラした」世界

 

当時の

「コンプレックスの塊」

「自己肯定感最低」

のわたしには眩しすぎて

 

 

「わたしには絶対無理ー!!」

と早々に諦めました。

 

 

 

結果、

残った医療関係(理学療法士)への

道を歩むことになりました。

 

 

 

 

「やりたいことよりも

失敗しない・できそうなこと」

 

当時のわたしの軸は、やっぱりここでした。

 

 

 

 

ここ1・2年でようやく

白いブラウス、ギャザー、パフスリーブ、ピンクも

割と抵抗なく着れるようになった指差し飛び出すハート