みなさん、こんにちは〜!

まおです飛び出すハート

 

 

これまでのわたしのストーリーを書かせていただきます看板持ち

お付き合いいただけると嬉しいです!

 

 

 

 

 

 

夢を言えなかった幼少期

 

 

子どものころの夢、

なんだったか覚えていますか?

 

 

聞かれるのがほんと〜に苦手でした。

 

 

 

 

なりたいものがよくわからなかったからもやもや

 


と同時に

 

 

「なんて言ったら人から喜ばれるか」

気にしていたから。

 

 

 

無意識のうちに「正解」を求める子どもでした。

 

 

 

なので、当たり障りなく

「お花屋さん」「看護師さん」「ケーキ屋さん」

ということにしていました。

 

 

超現実的泣き笑い笑い

 

 

 

お花が好きなわけでもなく、

元気で病院にかかったこともほとんどなく、

ケーキ屋さんのケーキは甘くて食べれなかったのに…。

 

 

ちなみに、わたしの姉の将来の夢は

うさぎさんニコニコだったそう…。可愛い…。笑

 

 

 

 

 

ですが、自分を重ねて想像して、

たまらなくドキドキして、

ワクワクする夢がありました。

 

 

「キラキラしている人になること」

 

 

きれいで、笑顔で、いっぱい稼いで、

好きなことをして、とにかく楽しそうな人。

 

 

バリバリ稼いでいる女社長さんだったり、

仕事が楽しくて目がハート

みたいな人たちをテレビで見るたびに猛烈に憧れていました。


 

 

 

「〇〇じゃなきゃ」

 

 

子どもの頃のわたしは、

わりと真面目、委員長タイプ。

(と言っても小さな学校なので大したことないですが…)

 

 

 

✅「宿題しなさい」と言われる前に終わらせる

✅仕事で疲れてよく寝落ちしている母に

「明日までにやってほしいこと」とTO DO LISTを置いておく

✅運動会では入賞できるように1ヶ月以上も前から自主トレ

✅音楽会ではピアノ伴奏


 


 

歳の離れた兄・姉の末っ子として

甘やかされて育ったかと思いきや、

 


要領よく、どうしたら褒められるか?

 


を考えて過ごしていました。

 

 

 

 

 

一方で

☑️「あれ買って」「これしたい」が言えない

☑️通知表や三者面談など評価を聞くのが怖くて仕方ない(自己否定されているように感じた)

☑️創作活動など、正解がないものを作るのが大の苦手。思考停止する。

 

 

 

 

今思うと

 

 

自己肯定感低くっっっ!

めっちゃ他人軸で生きてたーーー!泣き笑い

 

 

 

 

今では

「それもわたし」と受け入れられるよう

なっていますが

 

 

 

 

やりたいこと・好きなこと

 

よりも

 

できそうなこと・失敗しないこと

 

を常に選んでいました。

 

 

 

 


今の基準は

心がワクワクする方へニコニコ飛び出すハート