2020/08/13 | COPD患者やけど「自分らしく生きてます」

COPD患者やけど「自分らしく生きてます」

タバコを喫って17年(約35万本)、35歳で完全に禁煙に成功したものの55歳の現在COPD(肺気腫)に苦しんでいる運転手のブログ

「ふっ」と思った

なぜ今の私は
「自分が大好き」になったのだろう

そのきっかけは?




つい半年前
鼻からチューブが始まったときは

「(遅かれ早かれ)働けなくなる」
「生活費を持って帰れなくなる」
    →「私の幸せが崩れる」









あの頃は(Ha!)
休まず働いて
公休出勤も厭わず
法的労働時間ギリギリまで仕事をいれて

「お金で苦労したくない、させたくない」
「まだ働ける」






働いた見返りは
「居てくれること」
「向かい合ってメシ食うこと」
ほんで「美味しいね♥️」と言うこと
「ありがとうと言われること」

洗剤で手が荒れるなら
食器も洗う(後で洗い直してたみたい)

「ケツの下に敷かれてる」
何とも思わなかった

「自分の幸せがここにある」から








自分の不摂生とか生活態度を差し置いて

こんな病気になったのを

「肺のせいにしていた」私

また「(こんな風になった自分の)肺が憎 い」とまで言っていた


その頃から半年も経っていない


まるで教科書のように

「○○のせい」にしていた自分がなぜ?










暴論だと思うけど

自分なりに考えてみた

◎「自己チュー」になった

周りは全く考えず
「自分にとって都合のいいこと」をする
相手があることなら
「相手の気持ちは無視」した

「自己チュー」の意味はよくわからない
「思うままに行動する」だと解釈している


◎仕事において執着がなくなった

最大限に働いて
最大の収入を得ることが
自分の使命だと思っていた

仕事してる事実が
自分の支え、誇り、アイデンティティー

家庭を守るには
まず生活費を持って帰るのが
オトコにとって当たり前


まず金銭面に不安がないことが
悲しいことに一番大切だった


家族サービスなんて
そのあと、余裕ができたら


こんな考えなら遅かれ早かれ
独りで暮らすようになっただろうけど






考えが変わってきた
そう感じたのは
コバマスの講義で

働けなくてもいい
こんな言葉が導き出されてから

2020.March 1st
この日から
スタートしたみたいや



言葉で表してくれてありがとう