なぜ今の私は
「自分が大好き」になったのだろう
そのきっかけは?
つい半年前
「(遅かれ早かれ)働けなくなる」
「生活費を持って帰れなくなる」
→「私の幸せが崩れる」
あの頃は(Ha!)
休まず働いて
公休出勤も厭わず
法的労働時間ギリギリまで仕事をいれて
「お金で苦労したくない、させたくない」
「まだ働ける」
働いた見返りは
「居てくれること」
「向かい合ってメシ食うこと」
ほんで「美味しいね♥️」と言うこと
「ありがとうと言われること」
洗剤で手が荒れるなら
食器も洗う(後で洗い直してたみたい)
「ケツの下に敷かれてる」
何とも思わなかった
「自分の幸せがここにある」から
自分の不摂生とか生活態度を差し置いて
こんな病気になったのを
「肺のせいにしていた」私
また「(こんな風になった自分の)肺が憎 い」とまで言っていた
その頃から半年も経っていない
まるで教科書のように
「○○のせい」にしていた自分がなぜ?
暴論だと思うけど
自分なりに考えてみた
◎「自己チュー」になった
周りは全く考えず
「自分にとって都合のいいこと」をする
相手があることなら
「相手の気持ちは無視」した
「自己チュー」の意味はよくわからない
「思うままに行動する」だと解釈している
◎仕事において執着がなくなった
最大限に働いて
最大の収入を得ることが
自分の使命だと思っていた
仕事してる事実が
自分の支え、誇り、アイデンティティー
家庭を守るには
まず生活費を持って帰るのが
オトコにとって当たり前
まず金銭面に不安がないことが
悲しいことに一番大切だった
家族サービスなんて
そのあと、余裕ができたら
こんな考えなら遅かれ早かれ
独りで暮らすようになっただろうけど
考えが変わってきた
そう感じたのは
コバマスの講義で
働けなくてもいい
こんな言葉が導き出されてから
2020.March 1st
この日から
スタートしたみたいや
このブログが響いた ↑さすがシバトモさん
言葉で表してくれてありがとう