「自分の喜びを求めてるようじゃまだまだ半人前」 | ろっくな詩人のまちづくり応援ゆめ日記

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困ってる人を助けられるなら俺は詩人じゃなくても構わない。
今はたまたま詩人なだけで明日は別人になっているかもしれない。

だけど目的があるから何になっても迷わない。
ゴールテープはいつもハッキリと見えている

先日、親に感謝のメールを送った時に「お前、言うことも最近は作品みたいや」と言われた。

 

昔、知人にはお前が作家として低く見られるのは人と作品が乖離しているからだとよく言われた。

おれを見たことの無い人は作品だけを見て、白髪のおじいちゃんや仙人みたいな人が書いてると思ったというのはよく聞いた。

 

背伸びしてるってことか?

分相応じゃないってこと?

 

でもそんなん年齢もあるし、俺は白髪のおじいちゃんや仙人じゃないからどうしようもないやん

こう見えても色んなことを勉強しながら書いてるんやでw

 

でもこの前の親の言葉で何とか少しでも心葉に俺が近づいてきたのかなと思った。

やっと俺が心葉に追いついてきたのかな

まだ白髪のおじいちゃんじゃないけどw

俺にとっては普通に感謝の言葉を言っただけで、作品みたいって言われるってことはそれだけグッときたってことかな

 

だとしたら嬉しいね

それが一番うれしい

 

だって誰より親を喜ばすためにやってることだから。

判断基準は俺にはないの、親にある。

 

自分のワクワクするようなこととか喜びだけを求めているようじゃ人間として半分、半人前。

 

そんな言葉を聞いてから、考え方も少し変わった気がする

まだまだだけどね