伝えること、伝えないこと | 13番街のfake rocker

13番街のfake rocker

小説書いています。たまに写真撮ってもらっています。
物書きなのにロックスターになりたいとかわけのわからんことを言います。稀に詩を載せます。

思ってもネット書かないことがあります。
僕の本体は、生身の僕なので。
ネットの世界に生きている人間ではないのよ。
いや、インターネット好きだけれど。

思っても言わないことは伝わらない。
言葉を使って、その道のプロになりたいと思って、まだなれなくて、いろいろやっている次第ですが、あれですね、言葉は無力だと、思うことは多々あります。
100の言葉よりも1の行動のが重い、ということはわりとあるし。まぁ言葉も100並べてしまうからそもそもいけないのだろうけれど、なんて話は脱線しそうで危ない。

でも根本として人と人は理解し合えないのに(あくまで互いの脳で認識して情報の擦り寄せから理解し合ったと錯覚しているに近いと思う)、そこで言葉ですら放棄してしまったら、何も、何にもならんと思うのですよ。

何かようけツイッターとかで恋人の愚痴みたいなのちょいちょい見かけていて。それが何か人気のツイート? とかになったりして、男は所詮こうだとか。女は所詮こうだとか。

仮にステレオタイプとしてそういう気質の方のパーセンテージが多いとしても、だとしたら、きっとそりゃそれまでパートナーや周りの人間が誰も指摘しなかったからそのままそうなったんでしょうに、と思うこともあるわけで。
そうやってツイッターに愚痴って我慢している僕私偉いってなっている時点で、たぶん自分の相手に対しては改善なんか求めていないし、じゃあその相手を傷つけないか、関係を守るためかなんかのためにはけ口を別に用意したって、それを見た友人とかがもやっとすることもあるわけで、でもそれだけ曖昧に離れちゃえば余計にそれでもやっとしたことも言わないだろうし、ああん、長くなってきた。

相手に改善してほしいなら言葉にするべきだろうし、何も言わんけれど察してくださいなんざ無理な話だし、ネットに愚痴に書いてみんなで「そうだそうだ!」ってなっていることでその大好きなパートナーが匿名とはいえつるし上げにされているわけで匿名ならそれをやってもいいのかとか失礼じゃないのかとか本当に誰にもわからないのか、とか、よくわからないけれど、ネットに書くにしたってもうワンクッション引いた発散の仕方でもええと思うんだよ、わしは。
ほんのりもやっとしたことって、「我慢しきれなくもないな」って思って飲み込んでも、何やかんやそれがしこりになって決別の原因になることってあるよね。

言えないことがあるのも、わかりますけれどね。ケースバイケースなのだけれど。
難しいね、人間って。

言葉に出さない方がよいこもあるしね。それも大事なのだけれど。何でもかんでも本音でぶつかり合ったらただ傷つけ合うだけだし。自分のほんのわずかな快楽や息抜きのためにやたらめったら人を傷つけるようなのもなんか違うと思うし。本当に言葉を鋭利にして一歩も引いてはいけない、なんて場面は生きていてそうそうないと思うんだ。だってきっと、それがその人の核だろうから。
円満に進めようという努力も大事。だってそれを互いに行わなきゃ円満になんていかないもの。それで上手くやってきたならきっと同じタイプしか残っていないか相手に無意識に我慢を強いているかな気がする。
わからんけれど。わしの周りにはそういうタイプの人いないから。というか今までわしが離れてきた。
言うてくれる人、というのももちろん大事で。
鶴の一声、なんて言葉があるくらいだものね。

みんな自分の手を汚したくないから毒舌な人というか、手を汚してくれる人が好きなのねって最近すこし思った。それを思うと何でもずばっと言ってくれる人は、その下手人の役割を果たしてくれているのね。

何でも側面なのよね。
見方というか。
受信側の問題なのよ。たぶん。