以前ローマを訪れたとき、バチカンのサンピエトロ大寺院で衝撃を受けた。

 

寺院の入口にピエタの像がある。


ミケランジェロが若いころに作った通称「ローマのピエタ」と呼ばれる彫刻作品。


見た瞬間に誰もがその美しさに魅せられるだろう。

 

 

マリアの表情の美しさとイエスの肉体の迫力に圧倒された。

 

 

 

 

 

「ピエタ」とは慈悲を意味し、磔刑に処せられた後に十字架から降ろされたイエスを腕に抱く聖母マリアを題材にした宗教画・聖母子像のこと。

 

 

ミケランジェロは、88歳の生涯でピエタの彫像を4種類作っている。

 

 

寺院の隣の、システーナ礼拝堂に入ると360度ある圧倒的なスケールと作品の力量と大きさに眩暈がしそうになる。

 


絵画を見て腰が抜けそうになった始めての作品だ。

 

 

 

 

 

ローマ法王ユリウス2世から当初は墓地の彫像の作成依頼だったのが、法王の気まぐれで絵の経験がないミケランジェロは6年の歳月をかけて「最後の審判」を完成させた。

 


描かれた400体の人間は、デッサン段階で相当な苦しみのうえに描いたものだろうと察する。

 


彫刻家に突然絵を描けと言われたのだ。


彼の苦悩は計り知れなかっただろう。

 

 

世界に人間が作った最高の作品を10選べと言われたら間違いなくその中に入れるだろう。

 

 

 

 

 

 

ダビデ像。


これはフィレンツェのウフィッツィ美術館にあるので見ていない。


次回のヨーロッパ旅行で必見と思っている作品。

 

若いころのミケランジェロは、前進するエネルギッシュな力に溢れた人物を表現することができた。

 


見事としかいいようがない大傑作。

 

 

 

フィレンツェはメディチ家に支配されていたが市民が革命を起こし、ミケランジェロも革命に参加する。

 

しかし革命は失敗し、市民はつぎづぎと処刑される。

 


彼は、3か月地下室に隠れる。


死も覚悟しただろう。


恐怖に怯えながら、大好きな彫刻を作れずやむなく壁に絵を描き続けていた。


どんな気持ちだったのか。


その苦悩は彼の人生観を変えたのだろうか。

 


彼の取った行動は、メディチ家からも革命軍からも裏切り行為と写ったのかもしれない。


彼は2度とフィレンツェに帰ることはなかった。

 

 

そして、晩年彼はいまだに諸説ある彫像を作った。


1作目との違いは何なのか。


最後のピエタとは何なのか。

 


4作目の「ロンダニー二のピエタ」を考えてみたい。

 

 

 

 

 

ミラノのスフォルツァ城美術館にあるピエタ。


この作品がわかると彼のこころが見えてくるのかもしれない。


一見、荒削りに見える未完成の作品。


しかし簡単にそういっていいのだろうか。

 

 

ロンダニー二は、ミケランジェロは視力を失いつつあったので、手探りで作業をしたらしい。


今までの皮膚感覚が頼りだ。


何のために、どのような意図で作ろうとしたのか。


眼もよく見えないのにどうして。


それにシステーナ礼拝堂の仕事から腰を痛めたままで、曲がった腰のままで作品を作り続けていた。

 


老いてからは、寂しく孤独だったという説もあるが本当だろうか。


彼にとっても最も愛する彫刻を続けることができた。


そのことだけでも幸せだったのではないか。

 

 

あの作品は、見た目の筋肉の盛り上がりではなく、こころを形にしようとしたのではないか。

 

やりたいことをやることが生き続ける大きな原動力になることも決して忘れてはならない。


ルノワールも死ぬまで絵筆をとって描いていた。


車椅子で意欲的に製作を続け、不自由になった手に筆をくくりつけてデッサンを描いたことと同じだ。

 

 

不思議なのは、ピエタはマリアがイエスを抱いているパターンだが、イエスがマリアを背負っているようにも見える。


これにはイエスの死を悲しんでいるマリアをイエスが慰めているという説もある。


わたしには、一緒に天国へ行こうとしている姿にも見えてくるのだ。

 

 

ある謎の言葉がある。


2番目の「フィレンツェのピエタ」に「いかほどの血が流れたのか、知るよしもなし」というダンテの「神曲」の言葉が描かれている。

 


その言葉は、40代の未亡人ビットリオ・コロンナのために描いたピエタの素描に書かれたものと同じらしい。

 

 

 

 

 

フィレンツェからローマにきて、彼は46歳の詩人で未亡人のコロンナと出会う。


彼女と会うまでは、孤独を好み、人付き合いが苦手といわれていたが、彼女と詩の交歓だけではなく、デッサンをしたり夫人に捧げるピエタの素描もする。

 

 


しかし、彼女は病に倒れ55歳という若さで命を落す。

 

コロンナ夫人の死によって、ミケランジェロは長い間深い悲しみに襲われ、あまりにも哀れで周囲の人たちも手の施しようがなかったといわれている。

 

 

 

 

 

彼の言葉が残っている。

 

「彼女はわたしにほんとうに大きな幸福を願っていた。わたしもそうだった。

 

死はわたしからひとりの偉大な人を奪ってしまった。」

 

 

17年後、コロンナ家の菩提寺であるサンティ・アポストリ聖堂に眠る夫人の傍らで、ミケランジェロは永遠の眠りについた。

 

 

 

ロンダニー二のピエタは、もしかするとミケランジェロとビットリオ・コロンナが彫られたものかもしれない。

 

 

彼は、あの作品をふたりの墓地に置きたかったのではないだろうか。

 

 

ふたりの思いは永遠だと作品に残したかったのだろうか。

 

 

ロンダニー二のピエタはふたりの愛を証明するためのもの。

 

 

 

ミケランジェロが死の3日前まで彫っていたものは愛そのものだった。

 

彼が最も思いをこめた最高傑作こそ、あの作品なのかもしれない。

 


「美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない」ミケランジェロ。