みなさんご無沙汰していました。
何も近況をお伝えできなくてごめんなさい。
前回の記事に書いた状況が続いて、消耗してしまったのかもしれません。
車のオーバーヒートの次には、エアコンが故障しなんとか修理してギリギリセーフ。
パソコンは、その後ディスクエラーが続き、何度かデータのバックアップをとったりしていましたが、とうとうアウトになりました。
多くのデータは救うことができましたがすべてではないのが残念。
でもほとんど救われたのはパソコンのわたしへの叫びだったのかもしれません。
ここにはわたしの多くの思いがありますから。
そして新しいWINDOWS10のパソコンにデータを移行させて、少しずつキーボードも使えるようになりました。
ブログのように長い文章を入力するには、やはりパソコンなのです。
スマホは見ているか、短い文章用です。
ようやくここに戻ってこれてうれしいです。
春の日に荘子は、うつらうつらと夢を見ていた。
気がつくと、いつのまにか自分が胡蝶になっている。
空を舞い、花から花をを眺めて遊んでいる。
荘子は夢のなかで胡蝶になったのだろうか。
夢の中では胡蝶そのものが荘子となってひらひらと飛んでいる。
そして、夢のなかの胡蝶の目がさめて、荘子は荘子に戻っている。
荘子が目を覚ましたのではない。
胡蝶がまず目を覚まし、すると荘子の目が覚めていた。
さあ荘子が胡蝶の夢を見たのか。それとも胡蝶が荘子の夢を見たのか。
どちらかもしれないし、どちらともいえるような不思議な物語だ。
曖昧なのに何故か気になる話なのだ。
これは存在の曖昧さをいいたいのか。
それとも自分が見ているものは真実なのかという問いなのかもしれない。
最近は、VRで新しい現実を体験できるが、真実はますます曖昧になるだろう。
荘子は、何が言いたかったのか。
夢うつつということばがあるが、夢と現実の明確な境界線はあるのだろうか。
わたしたちの前に見えるのは、はたして現実なのだろうか。
真実はどこにあるのか。
人間にはそれがわかるのかという深い命題を掲げている。
さすがに山水画の世界の国だ。山と霧の境界線などないように見える。
この曖昧模糊にみえる感覚こそが老荘思想の本質なのかもしれない。
老子については、いすれ書きたい。
中国は政治は社会主義といえばいいのか。経済は国家に統制された資本主義なのか。
この思想は不自然であり、言論の自由と基本的人権を求めていずれ民衆の力によって社会体制は変化することになるだろう。
無理は続かないものだ。
それは孟子が説いている。
ただ中国四千年の歴史の中の数十年だ。
中国人はじぶんたちが食べられる体制の中でしか生きることはしない。
それができない体制は、倒してもいいという思想のなかで生きてきた。
老子と荘子の思想は、老荘思想といわれ。タオイズム(道教)に流れこんでいく。
タオとは道という意味だ。
陰陽五行説や国内の地域の民間信仰とも融合して道教となっていく。
大乗仏典のなかに龍樹(ナーガルジュナ・インド人)の空論があるが、仏教
の最大の哲学者でもあった。空とは何か。空とは、からということではない。
「ものは自らも生ぜず 他からも生ぜず、自他の両者からも生ぜず、無因からも生じない。」
仏教とは存在論だった。
大乗仏典はわからなくても現代語訳であれば少しずつ心の底に届いていくと思う。
一度は挑戦しても価値はあると思う。
何かが見えるはずだ。
生と死について沈思黙考しても当然な時代が来ている。
なお中国での禅宗の開祖、達磨大師もインド人だった。
禅はインドのヨガから来た呼吸法が本質にある。
天台大師(智顗)中国人の「魔訶止観」という大著に「九識論」がある。
不思議なことにこの超難解な本は依然岩波文庫で出版されていた。
人間の意識には9つの段階があるのだという。第6感が常識だが本当は第9感なのだ。
9つ目の意識とは何なのか。
長く非公開だった秘密の書「チベットの死者の書」という本がある。
人間が死んだ後の49日間のプロセスが大胆に書かれている。
49日法要といわれる。
49日までは故人の魂の行き先が決まっておらず、現世とあの世をさまよいながら、7日毎に閻魔大王により裁かれ、その裁きの7回目、77日、すなわち49日に最後の裁きが下され、あの世の決められた行き先に向かって旅立つ日とされている。
さてこの本にはなんと書いてあったのか。それは真実なのか。
あなたが向き合ってみるのもいいと思う。
おどろくべきことが書かれていた。
諦めたらなにも成就することはない。
一心不乱に経典を唱えたり修行することは無効とは言い切れるだろうか。
物事を変えていく力は、変えていかなければという強い意志の力とそれをひとつに結集することなのだと思う。
世界は「敵と味方」という一元論ではないというのがアジアの思想なのだ。
世界は多元的である。他を認めること。
荘子にも通じるだろう。龍樹にも。
あるといえばある。ないといえばない。禅問答のようだが、仏教は存在とはなにかと突き詰めた。
あるとないの違いはなにか。
だいぶまえに、ユダヤ人のアーサー・ケストラーの「ホロン革命」という本に出会った。
わたしの人生のなかでもっとも大きな疑問・問いはここから生まれた。
大きなショックを受けてずっと考え続けてきた。
大きなテーマは、人間の脳には隠された致命的な設計ミスがあるという。
なぜ人間は「組織のため」なら狂暴な破壊も平気になるのか。
そろそろわたしなりに辿り着いた中間報告を書かなければならない。
わたしよりも倫理においてAIロボットが人間はあまりにも低次元なところにいるので
危険だと認識してしまうかもしれない。
これはSF映画ではない。
人間の心理とSFについて格闘したのはポーランドのスタニスワム・レムであり、
ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーだった。
彼はほんとうに人類の終末への危機感を持っていた。
タルコフスキーの「日記」に詳しい。
遺作の映画は「サクリファイス」(犠牲)という名だ。
核戦争が始まるところから映画は始まる。
もうそれは、先日中東で起きたドローンによるサウジアラビアへの攻撃で新しい戦争は開始された。
<効力>という言葉がある。
第2次世界大戦でわたしたちは、多くのことを学んだ。
2度と戦争をしてはならないこと。
そうならないような仕組み作りが必要なこと。
そして国際連合という形ができた。
今はどれほど機能しているのか。骨抜きにされているのが現実だ。
どこの国のせいかは押してしるべしだ。
シリア内戦で機能不全になっていることが証明されてしまった。
アウシュビッツの大虐殺のようなジェノサイドを再び起こしてはならない。
しかしカンボジアでポルポト派(クメールルージュ)による200万人の大虐殺が起きた。
映画<キリング・フィールド>(殺戮の荒野)に詳しい。
エンドロールではジョン・レノンのイマジンが流れる。
生涯忘れられない傑作だ。
ルワンダの虐殺はフツ族とツチ族の部族間の権力闘争で80万人が殺された。
映画<ホテル・ルワンダ>に詳しい。
わたしたちは、いったい何を学んだのだろうか。
ホロン革命では人間はなぜそのようなことをしてしまうのかを書いている。
いずれわたしなりの回答を書きたい。
アメリカのオバマ前大統領は、<核なき世界>を目指してきた。
広島でも歴史的な演説をした。
しかしトランプ大統領はINF・中距離核戦略全廃条約をひとりのエゴイストによって破壊された。
現在は世界のパワーオブバランスは壊れ始めている。
唯一の被爆国の日本は、核兵器禁止条約を批准していない有様だ。
わたしたちは前進しているのか。後退しているのか。
平和への道筋はあるのか。
今は重大な岐路にいる。
真のメルトダウンははじまっているかもしれないが、まだ間に合うはずだと思いたい。
香港では光がようやく見え始めてきた。
しかしまだ油断はできないし、解決されていないことがある。
これは人類の未来を見ていく指標になるだろう。
そして、国連の気候行動サミットでは学校を休んで気候変動対策を求め
400万人の同時デモを起こしたデモの火付け役であるスウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(16)は、
「30年以上にわたって、科学は極めて明白でした。
必要な政治、解決策がまだ全く見えないのに、どうしてあなたたちは問題から目をそらし、ここへ来て、十分やっているなどと言えるんですか? 」と語った。
「私たちは大絶滅の始まりにいる。それなのに、あなた方が話すことと言えば、
お金や、永続的な経済成長というおとぎ話ばかりだ。よくもそんなことを!」
「未来の世代はあなたを見ている。私たちを裏切る道を選べば許さない」
「あなたたちを見逃すつもりはありません。今、ここでストップをかけるのです。世界は目を覚ましつつあります。否が応でも変化は訪れるのです」
涙ながらに話す、これほど胸を打ち、こころに響く演説はひさしぶりだった。
わたしたちはやはり諦めてはいけない。
たったひとりの人間が始めても人類の未来は開かれることがありうるという期待を持てた。
彼女はエゴイズムを代表とするトランプに打ち勝つかもしれない。
未来のために、新しい現実を切り開こうとする、ものすごく強い意志を感じた。
わたしも参加しよう。
利害を超えて、これからも生きられる人類の未来のために。
限られたときを未来のためにも使わなければならないのだ。
連帯と愛こそが世界を救うと信じて。

