暑い。北海道も猛暑だ。
函館は1週間前から毎日が30度。
暑さ慣れしていないから、とにかく参る。
間違いなくエアコンのある場所は車くらいだ。
オフィスでも一部、住宅でも一部しかついていない。
ほとんどは扇風機だ。
わたしは心臓病なので朝から不整脈が出てしまう。
水分不足のドロドロ血が一番あぶない。
余りの暑さでパソコンはディスク障害が起き、プリンタは印字されない現象が起きている。
おまけに、運転中に水温計がおかしいと思ったら、オーバーヒートだ。
なんとかスタンドへ行って助かった。
3日前は北海道で3人の方が熱中症で亡くなられた。
後、数日の我慢で済むといいのだけれどと勝手に思う。
本題、久しぶりにNHKで映画『この世界の片隅で』を見た。
以前、テレビドラマの実写版は見たけれどコメントはする気にならなかった。
様々なシーンを思い出していた。そうだ。そうだよなあ。と。
原作には、『どこにでも宿る愛』がテーマのひとつだと書いてあるようだ。
それは1昨日のコトリンゴさんのライブ番組で知った。
そうか。何度か出るタンポポの意味はそこにあったのだ。
タンポポはエンドロールでもしっかりと跳んでいた。
たんぽぽが風にのってふわふわと空に浮かんで綿毛がどこかに落ちる。
たんぽぽは、そこで花を咲かせる。
ラストで原爆孤児をすずが連れて帰るのは、愛はどこにでも宿るからということを彼女が知ったからなのかもしれない。
しあわせは、その場所だけにあるわけではない。
じぶんのこころにあることを。
そしていま日韓関係がにわかに緊迫してきたけれど忘れてはいけないことがある。
シリアで 8歳の女の子が7か月の男の子を助けようとしたが、彼女は空爆による瓦礫につぶされて死んでしまった。
また香港では逃亡犯条例に反対して毎週大規模なデモが起きている。
大規模なストライキも始まった。
『報道特集』では、香港の柱に張られた『レノン・ウォール』を取り上げていた。
これはポストイットにじぶんの意見を書いて壁に貼り付けていく意思表示の仕方だ。
ジョン・レノンの『イマジン』は生きていた。
記者の目の前で、警官隊がデモ隊に催涙弾を発射している。
こんな緊迫感のある映像は減ってしまった。
平和になったということではない。
むしろ記者が海外の現場からレポートする映像が減ってきている。
自己責任といわれたくないのか。萎縮か。
気がついただろうか。
今回の参議院選挙でのテレビ報道が少なかったことを。
選挙が終ってから言われても遅いけれど。
自粛といえば怒られるか。忖度か。
国民に関心を持たせないためなのか。
SNSではなぜ『れいわ新撰組』の演説は取上げられないのかという声が溢れていた。
もちろん彼らが以外も同じだ。
先日の報道特集では、重度の障がい(害という言葉は適切だろうかといつも思っている)者が20歳で就活している女性を放映してとても考えさせられた。
『れいわ』は大きな一歩を踏み出したことは間違いない。
では香港のデモは取り上げられているのか。
ニュースのような放映がほとんどだ。
メディアはあまり関わりたくないのか。
香港政庁は、過激な若者というが、先日一般の人たちに暴力を振るった白シャツグループは香港の黒社会(マフィア)のメンバーではないかといわれている。
デモ隊ではないのだ。
動画を見たが、一般人にも関係なく、電車の中に入りとことん暴力を振るう姿は、まさしくプロ集団だと思う。
そこに警察もいたこともバレている。
政庁・警察・黒社会は繋がっている。
権力はあるときは正体を隠し、あるときは正体を現す。
逃亡犯条例が通れば、天安門事件で逃亡したひとたちが中国政府に逮捕され戻ってこないケースや、政府を批判しただけで突然公安の人間が来て、行方不明に
なってしまうことはテレビで何度も見ている。
香港人は人権と民主主義が無くなったら、ここは自由のない世界になる。
そうなったら生きていくことはできない。
だから生存を書けて闘っているのだ。
人間としての自由・言論の自由・表現の自由
わたしは中国が好きなほうだと思っているが、これは別だ。
じぶんにできることは何かと考えてみた。
クラウドファンディングはどうかと。
テレビで香港デモをしている女子学生が記者のインタビューに答えていた。
わたしたちに大切なのは、これからもわたしたちのことを関心を持ってもらうことですと。
なんといわれようと香港人がこれからも自由に生きられるために。
闘っているのは学生だけではない。
それがなによりも大きな力になると。
関心が低くなればなるほど、ニコッと微笑むものがいるのだろう。
だからわたしは書くことで関心を持ってもらう努力をしようと思った。
10月1日は中国の建国記念日だ。
このときに、軍が香港に入りデモに関わった人間は一網打尽に連れ去られてしまうかもしれないという説が出ている。
彼らの自由とわたしたちの自由は繋がっていることは決して忘れてはならない。
愛がどこにでも宿るように、自由もどこにでも宿るものでなければならないから。
全てのひとが自由である社会にならなければ、わたしたちの世界はまだ未開なのだと知るべきなのだと思う。
また弾圧されることも。
ほんとうのしあわせはあるのだろうか。
詩と自由、そして愛。と言ったのはアンドレ・ブルトンだ。
それは今でもわたしの最も愛する言葉だ。
たたかいは続く。
どうか注目してほしい。

