北の世界のひとたちにとっては、桜の花が開くということは特別な意味合いを持っている。

4月はまだ春とは言えない。

寒暖の差が激しくて2回くらいは雪が降る。

4月20日ごろからだろうか。

少しずつ緑が見え始める。


今年も函館は5月1日が開花予想日の予定が、温暖な気温が続いて4月29日に開花した。

桜が開花すると殆ど同時にタンポポやつくしが見え始める。

満開になるとチューリップやツツジが見え始める。


桜は本当にこの大地に春が来たことを告げるしるし、知らせなのだと思う。


5月3日~6日の間は天候に恵まれてゴールデンウィーク中に満開の桜を楽しむことができた。

GWに満開にはなったのはいつなのか記憶にないほどだ。


どれほどの市民が微笑んだろう。

わたしもほんとうにうれしかった。


長い厳しい冬を越えたのだ。

それでも、桜は美しい花を開いて、

「ご苦労様でした。暫くわたしたちを愛でてくださいね。」

と労をねぎらってくれているのかもしれない。


桜は妖精であり、天使なのだ。










いつもの元町配水場の桜は最近は、観光サイトにも登場して百年桜と呼ばれているようだ。

おかげで、いままでわたしはひっそりと会ってきたのに、多くの人がこの桜を見に来ていた。

しかし咲き誇るという言葉が見事に似合う美しさだ。














今年はゆっくりと語り合うことはできなかったけれど、

「ああ、ようこそいらっしゃいました。こんな高い場所なのにわざわざありがとうございます。

今年は逢いにくるひとが多くて照れくさいです。」

「あなたは長い自然の厳しさから生き残ってきた貴重な桜です。

わたしがここにくるのは、また一年生き残ることが出来ましたと報告にくること。

あなたに会うことを目指して生きてきた部分もあるのです。ありがとう。」

「お互い、色々なことがありましたね。わたしはいつもあなたを見守っているのですよ。」


桜の精は例年に比べて、明るく、晴れがましく太陽に照らされて輝いていた。

「あなたは美しい。また来年お会いしましょう。」と呟きながら山を降りてくる。






先日、映画「そこのみにて光輝く」でとても重要なシーンで出てくる外人墓地から見える海岸の夕日を眺めていた。

1時間半ほど静かに日が沈むのを眺め続けていた。

こんなことをしたことはなかったような気がする。

この夕焼けは地球の奇跡かと思うほど美しい。

観光ガイドではあまり紹介されていない。

子供のころから大好きな景色。













記事を書いている途中、倉本聡さんのテレビ「北の国から2002」をやっていた。

このドラマは全く古びていない。


わたしたちも何も変わっていないのだ。

ある意味ではそれでいいと思う。






「そこのみにて光輝く」を2回見たけれど、また行くだろう。

わたしのこころの何かをこの映画が変容させているのかもしれない。

多くの感想を聞いたけれどこれほど<余韻>のある作品はない。


愛という言葉は出てこないけれど、愛が心の奥まで届いてくる映画。


どんなに厳しい自然でも、やはりわたしはこの場所を愛しているのだと思う。

その言葉を聞いて、桜の精が微笑んでくれたような気がした。