最後の病院にしたい | しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

しかたない、がんばろう!~急性リンパ性白血病をいきる~かんごしに生きる~

2008年春、急性リンパ性白血病 (ALL) になった。
38才独身、看護師18年目…。
がん看護,緩和ケア病棟の経験もあった。
自分が患者になり、初めて分かったこと、実感したことがある。
日々のことと共に、又、今までを振り返りながら、記していきたい。

5/1🎏から 某病院病院化学療法室で

週3日パート勤務開始出来ましたクラッカー

10年くらい前、人間ドックメインで(左矢印意に反し,口約束に反し)勤務した病院病院です。

 

移植後15才、悔いのない人生虹を最優先に、

自分ヒヨコの欲求のまま進んで来ましたカメあせるあせるあせる

 

前職病院キラキラにて、入院中からの思いもやもやの、

一つゴールを果たしました合格

ようやく、自分ヒヨコおひとりさまの老後を考える様になりました。

 

色々考え、

この病院病院がこれからの自分ヒヨコにはベスト,ベターとし、

有難いことにスムーズに採用して頂きましたクローバー

 

前職病院キラキラはてなマークだった、

入職時オリエンテーションや待遇や環境的なことについて納得出来ましたグッド!

 

化学療法室(ケモ室)については…

1日しかみていませんが…

うーんうーんぼけーぼけーにやりにやりねーねー汗汗

既に色々感じています…。

 

この約10年前、数回このケモ室で勤務していました。

(過去ブログパソコン記事もあります。)

 

何の準備も無く、ある日突然担当に付けられており、

当時ご指導頂いたケモ認定看護師🦏DASH!には

「がん患者さん(とのコミュニケーション)は難しいんだから!!

私🦏が言ったこと以外話さないで!!」他

キツイことを言われていました。

 

当時の担当師長星からは

「病気(自分ヒヨコの白血病)のことを話すのは推奨しない。」と言われており、

まだまだ弱かった私ヒヨコは、

やっぱり凹みまくっていました。


退職間際、がん専門看護師乙女のトキメキまじかるクラウンレベルの方)をつかまえ、

この件を伝え、考えて頂く様お願いし、受けとめて頂きました。

 

転んでもただでは起きないダルマ

一症例で生き抜くダルマ

 

このケモ認定看護師🦏は、現在は別の部署の師長星になっており、

日常的に顔を合わせる機会は無さそうです。


でも、今なら大丈夫OKぶーチョキ

 

それと、気長に気長に気長に晴れ

 

患者さんチューリップオレンジ数少ないとか、

時間的に緩い(左矢印私の経験としては)とかだと、

また違う視点と言うか何と言うか…キラキラ汗


色々経験して来てしまうと、

視野とか視点とかそれなりに増えていて、

コレらと上手く付き合わないと、

自分ヒヨコがただ苦しむだけになるから…ねー汗