最近、というかコロナになってからはなくなったんですが、ライブやイベント、またはそこから知り合った人とご飯を食べに行く機会が確実に、昨年2月まではありまして。
(昨年11月のシモツキンBDライブとか今年の全国ツアーの各所ではあるので昨年2月までっていうのもあれ?って感じなんですけど)
これは私のご飯に対してのお話です(決して味がまずいとかそんなことは今まで一度もありませんでした)
元々家族以外とご飯を食べることが極端に少なかった私。
家族は、極力私と夕飯を一緒に食べようと学生の頃(特に中学生)は気を遣っていたこと。
ただ同時に、「朝ごはんを一人で食べること」が幼い頃から自然と当たり前のようになっていたこと。
夕飯だって、小学生時は父がいない日は祖父母の互いを罵詈雑言、大喧嘩を聞きながら食べていたし(食べる位置的に逃げ場がない)。
中学になってからは朝ごはんを自分で作って食べてさっさと学校へ行って、夜は火・金じゃなければ誰かしら家族がリビングにいたけれど、祖母は私にご飯を作って畑に行ったり、祖父は夜勤だったり、そうじゃない日は遊びに行ってたり、二人そろってる日は争わない日はないってくらい祖母が祖父に口汚く罵っていたし。
父はいつも黙っていた。
私が「テレビが聞こえないから静かにしてほしい」ということ、その一言すら許されなかった。
父と祖父がいない日は、祖母とご飯を食べていた記憶がある。
そういう日は決まって色々話すけど、祖母はその度に「外に声が聞こえるからちっちゃな声で」と私を窘めた。
当時は本当に大きかったのかもと思って静かにしたけど、今思えば私の声は外に聞こえるはずがない。
むしろ祖母の声のほうがよほど聞こえていた。
学校での給食が美味しかった記憶は、特別支援学校に入学して2年生になって、担任が変わってからしかない。
あの、テーブルを向かい合わせてグループで食べる時間が、私は苦手だし、私は恥ずかしながら食べ方が綺麗じゃないからボロクソ言われるし、嫌いだった。
もちろん楽しくないことばかりでは決してなかったけど、そんなの覚えてないくらい。
社会人になってから食べるご飯は、朝も昼も夜も、特に昼間は味すらしなくなった。
最初は不慣れな私のために祖母が作ってくれていたけど、味しないし美味しくない。
祖母が胆石で入院してから今日まで自分で作ってるけど、美味しいと感じたことは残念ながら一度もない。
味はしているんだけど、「食べている」という感覚だけしかない。
ライブに行き始めてから、イベントに行き始めてから、家族以外・友達以外の人達とご飯を食べる機会が増えた。
自分が人前でご飯を食べることに緊張感のようなものも最初はあったけど、自然とお酒を交わしながら楽しそうに飲んだり食べたりしてる人達を見て、そのうち味もわかるようになって、とても美味しく感じるようになった。
変な話、家での食事に関して私は自分の舌に合わないもの以外を「美味しくない」と言ったことはなくて、実際祖母の料理は味だけで言うなら美味しかったし、今も好き。
でもいつも、心のどこかで「おいしくない」と感じながら食べてた。
その原因が、ライブの打ち上げや、誘ってもらった宴会を通して回数を重ねてきたことで、ここ最近また何を食べても「おいしくない」と感じていたことで、ようやく理解してきた。
家では常に祖母の醜い言葉が放たれる中での食事だけれど、外で食べる食事は誰一人醜い言葉を放つ人どころか、楽しい話をする人たちしかいないから。
これも少し考えればわかることなのかもしれないけど、「食事の雰囲気」って私が思う以上に大切で、「おいしい」ご飯と「おいしい」雰囲気がなければ、どれだけ「おいしい」ものを食べても、舌が「おいしい」と感じても「おいしくない」に変換されてしまう。
祖父が亡くなる前、祖母が本当に口汚くて、祖父がかわいそうなのもあるけど、それ以上に食事の席で言いたい放題の祖母を見ていて、何を食べても気持ち悪さしかなかったし、味すら感じられなくなっていた。
最近の祖母は完全に、今まで以上に、ボケが少しずつ少しずつ進んでいるのもあるのか、耳が遠いせいもあるのか、会話にすらならないし、こちらが言っても自分の頭の中で変換して喋るから嚙み合わないし、そのせいでまた少しずつ、味が感じられなくなってきている。
本当は「おいしい」味のご飯なのに。
どれだけ「おいしい」と頭で思っても言葉にしても、食事の雰囲気には勝てなくて、「おいしくなかった」と食べた後感じてしまう。
「ばあちゃんがいなくなれば今よりずっと楽になるよ。
それまでの我慢だよ。」
父が常に、特に祖母関連でパニックになった私に言う言葉。
祖母が亡くなって自由になったら、夕飯の味も「おいしい」と感じられる日が来るのかな。
私が「おいしい」と感じられるご飯は、家の中ではもう来ないんじゃないかな。