私の職場 | Smile and tears *笑顔と涙*

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高い確率で色々吐き出したりしてますが、スルーでお願いします。
社会人になって範囲は広がったけど、心は逆に脆くなりました。
毎日笑ったり泣いたり、今まで以上に感情が忙しくなってますが楽しんでます☆

3月17日を迎えると、今の職場に勤めて8年目になります。

私が入った当初と比べたら、人も内情も本当に大きく変わりました。

いい機会なので、私がこういった状態に置かれている・私自身が辛いと思っていることも含めて話すので、だいぶ主観が入っていると思います。文才もないので読みにくいと思いますがお許しください。

身バレしてもいいかな、レベルです。

社名は伏せさせていただきます。

それぐらいの覚悟で、この記事を書いておこうと思います。



私の職場は久喜市菖蒲、モラージュから車で5分程度のところにあります。

蔦屋から近く、斜向かいにローソンができました。

立地としては悪くないと思います。

作業場は大きく分けて4つあり、選別・組み立てを行う第一工場と、流れ作業を行う第三工場に分かれています。

第一工場の上には休憩室があって、そこに第一工場の人のロッカーと、お昼休みの休憩場所となっています。

14時半に10分間の休憩が挟まれるので、パート業としてはとても優しい会社だと思います。

休みも届け出を出せば基本受理されるし、9時~16時以外にも、現在は9時~15時までのような特殊な体制も取ってもらえるようです。

ここら辺は又聞きでしか存じないので、私にはあまり関係ないことというのもあって詳しくはわかりません。



時給が同工業団地にある職場に比べたら安いという点がある分、福利厚生もしっかりしていて、誕生月にはケーキをいただくこともできます。

たまに先方の売れ残りのお菓子を破格で販売してくださったり、夏冬のボーナスも少ないながら有、夏のお盆休みに入る前も社長が果物を社員パート全員にくださります。

とてもありがたい職場だと思います。



ただ、私の職場は半数以上がパートさんで構成されています。

現場力は実質パートさんが担い、当然ながらその中では回避しきれない「人間関係」というものがあります。

私は、私だけではないと思いますが少なくとも、私はこの職場に入社してから「人間関係」に悩まされない日はありませんでした。

また作業が細かく分かれているため、特定のパートさんとの接触が多く、そのパートさんとのいざこざもあったせいか、私の立場はほぼなくなり、逆を言えば「落ち着いて内情を見極めることができる」立場になりました。

パートさんとの会話はないに等しくなりましたが、その代わり、パートさん同士の会話や事務所、社長と管理職の方々の関係性もよく理解できました。



まず不思議だと思うのは、私の職場には、私が入社してから3年ぐらいは部長と係長しかいませんでした。

社長という存在はどこからも聞きませんでした。

それがある日、部長が定年退職してから、本社からやってきただろう「社長」というものが存在するようになりました。

当時の私からすればおじいちゃんのような方です。

最初は「この人がこれからこの職場にいるんだ」というぼんやりとした印象しかありませんでした。

でもこの社長が来てから、いつの間にか「社長派」と「パートさん派」という派閥が出来上がりました。

派閥といっても、品質管理の人はパートさんの味方、部長は社長側の考えの人間というような感じでしたが、品質管理の人から聞かされるのは社長の陰口やら何やら。

たぶん社長はその態度も気に食わなかったのでしょう。

去年の話になりますが、その品質管理の方は理由も告げずに辞めていきました。

私は、「社長が気に入らないから切ったんだ」と思いました。

その方の態度は確かにパートさんからも苦情のあるものでしたが、パートさんにしっかり向き合ってくれるいい方だったと認識がありましたから。



部長がそれからは仕切っていました。

ちょうど、一昨年の夏ぐらいから、手に負えないぐらいの仕事が流れ込むようになって、パートさん達は休むことが難しくなっていました。

特にパートリーダーさんは家が目の前だったこともあり、部長や社長の圧力もあり、どんどん疲弊しているのが目に見えていました。



去年の秋、私と唯一仲良くしてくださっていたパートさんが辞めました。

連絡を取って食事をし、聞いた話は酷いものでした。

パートさん(リーダー格)が指示したけれど、派遣より下と言われ、さらにはパートリーダーさんに命令をしていたという話。

実際はもっと酷かったのですが、文才がないので大体はこんな感じと思ってください。

そのパートさんが辞めた時、作業場はとても忙しくパートリーダーさんも大泣きしてしまうほどでしたが、辞めた方に縋る暇もなく、仕事に追われていきました。

そして、私と深く関わっていたパートさんも12月の半ばに辞めていきました。

私が一番、一番大嫌いな、7年間会話らしい会話も挨拶もなかったパートさんに何も引き継ぎもせず。



もちろんその方はパニックでした。

これからは自分がやっていかなければならない。

それは私も大変だなと思いました。

でもその方は、何よりも私と接することが嫌なんだから、それもストレスだろうと感じていました。

接するというよりも、私はこの方から嫌がらせを何度も受け、事故にも遭わされかけたので、根本から受け入れることができず、私もその方も亀裂は深かったと思います。

それでもその方は仕事の指示を私にして、隙あれば矢継ぎ早に喋り、私もその方と今後一緒に仕事しなければならないパニックで耐えきれず、泣く羽目になりました。



たぶんそれからでしょう。

その方は私に必要なことは言わず、「知らない」と言っても「話したでしょ!」と押し通すようになりました。

話が通じなくなっていました。

仕事の忙しさもあり最初は私も対応していましたが、だんだん話が通じなくなるその方にストレスと怒りを感じ、体調を崩すようになりました。

最近は、その方と会話も再びなくなりました。

向こうも以前の気持ちが表に出始めているのは感じていました。



それでもこれからもそのパートさんの指示に従わなければいけない、でももう私がその方の声を聞くことにすらストレスを感じてしまい、パニックを起こしやすくなっています。

仕事が落ち着けば、その分お喋りも増えるその方の話す内容はだんだん他人への陰口、私への陰口となりました。

それは本当にこの2週間ほどのことです。

一度持ち上げ、突き落されたような気分です。



本来なら、私ももう子供じゃないのだから、自分で決めて辞めてもいいのでしょう。

最初は必死で転職先を探しましたが、徐々にその気力すら、日々その方から受ける言葉に疲れてなくなりました。



もうすぐ8年目を迎えるこの節目に、私は何ができるのだろうとぼんやり考えています。

私なんかには何もできないのかもしれません。

むしろ、私みたいな人間なんて、もうあの職場には必要ないのかもしれません。

実際私は、必要なことも教えてもらえず、間違えればそのことを責められるばかりです。

そのこともただ「はい」「すみません」とだけ答えて、終わってしまいます。



途中から文脈がバラバラになってしまい、何を書いているのか私もわからなくなってしまいました。

でも伝えたいことは、全てだと思います。

これはたぶん、私が本来言葉にしたい悲鳴なんだなと思っています。