あけましておめでとうございます

 

ちょこちょこと書いているのに、訪れてくださってありがとう。

昨年は、頼みの綱の障害年金が、不支給になってしまい、

ああ、終わってしまった・・・・と思いましたが。

 

こうして、まだ、生きてます。

そして、無事、新年を迎えることができました。

なんとかなるもんだな。

 

障害者手帳は2級を持っているのですが、

私の場合、調子のよい時は、黙っていれば気がつかない類の障害なので、

いったい、「障害ってなんぞや?」と思うことも多いです。

 

じゃあ、私が、なんの問題もなく、普通に生きていけるか?

と言えば、やはり、いろんな暮らしの上での癖があり、

週一回の訪問看護師と話すことで、暮らしの微調整をしながら、

なんとかかんとか生きているという感じは、やはりするのです。

 

ひどい時は、外に出られないし、銀行カードの使い方も怪しくなるしね。

今年は、穏やかな波に乗って行けるかな。

 

今年も、ぼつぼつ綴っていきます。

よろしくお願いいたします。

 

今宵、静かに身を任せてみようと思います。

なんだかんだ言って、なんとか過ごしてこれたんじゃないかな?な2018年。

ものすごく不安だったけれど、

この不安を手放して。

きっと、また、なんとかなる日常だから。


しばらくぶりです。

 

このところ、調子がよく、もう「福祉の世話になりながらでも、生き延びよう」と決意して、

調子よくすごしていたんですけれども。

 

あっ、私、「アルコール依存症」注:末期。お医者さんに、めっちゃ怖い顔で言われた。

それに、双極性障害と診断も受けてます。

双極性については、それほどアップダウンは激しくないんだけれども、

何と比較しているかと言えば、母が、晩年、ものすごい双極性障害で、

アップダウン繰り返したあげく、自殺してしまったから。

 

常に、私に「しっかりしなさい!」「あなたはダメねえ!」とメッセージをくれていた母だけど、

振り返ってみると、若い頃から、軽い躁状態だったのかなー。

亡き父が衰えてきたのをみて、いきなり、バンっと欝になって動けなくなり、

それから、むごいくらいの躁鬱を繰り返して、自分で死を選んでしまった。

 

欝なんて、気合のないヤツがなるんだ。

精神病なんて、体裁が悪い。

と、エリート指向バリバリの母の、慣れのはて。

 

私のアルコール依存症も、多分に気分障害の延長戦上にあるんじゃないかということで

自分で言うのも、なんなんですけれど。

仕事もめっちゃ優秀にできる時と、ひきこもりのように動けなくなる時を繰り返しているので、

障害基礎年金を請求してみましょう。ということになっていました。

(直近でも、精神科の閉鎖病棟に2回、入院してるしねー)

 

因みに、今は、落ち着き期。

 

それが、なんの前触れもなく、2週間前くらいから、ガンと落ちて、昼夜逆転して、ひきこもりっぽくなり、

やばいわーと思っていたら、年金の不支給決定通知が届いた。

うーーん。

普段なら、もっと大騒ぎするところ、感情がナッシングになってきてて、

「あ、そう」

くらいにしか、思えない。

 

精神の病気って、わかってもらうの、難しいからなー。

私みたいに、できる時は、(友人曰く)常人離れした集中力と行動力があったりすると、

そこを基準に見られるから、落ちた時のダメっぷりが、「だらけてる」「根性ない」「だらしない」

と、軽蔑の対象にしかならん。

 

じゃー、はじめから、私がダメダメで、どうしようもなく役に立たない人間だったらよかったのか。

そしたら、一家離散しなくて、済んだのか。

 

難しいところだなあ。

とりあえず、気分の波がゆるやかになるような薬を処方されたので、

よけいに感情が動かなくなって、ぼーーっとしてる。

 

お正月、越せるかなあ。

こんな片隅のブログに訪れてくださって、

なんと「いいね」まで残してくださるみなさま、ありがとうございます

 

方向性も持たず、なんで、こんなブログを始めたのかというと・・・

助走していたのです。

「書く」練習。

毎日には、程遠いけれど、「外向きに書く」練習。

 

今日、新しく、こことは別に、私の仕事用のブログをスタートいたしました。

こちらの読者の方々には、

そっと、新しいIDから、おじゃますることもあると思いますが、

こっちと、あっちは、分けておりますので、どちらでも好きな方をまた

気が向いたら、訪れていただきたいと思います。

 

こっちとあっちは、まったくつながってませんので、

もし、わかっても、「あっ あのアルコール依存症のひとですよね!」

なんて、あちらの方で、声をかけるのは遠慮してくださるとうれしいです(笑)

 

だって、一応、お仕事の顔したブログだもの。

多分、とんでもなく、仕事と関係のないことの話になりそうだけれど。

 

仕事の顔をして書こうとすれば、「ちゃんとしたわたし」を見せようと

背伸びして、せいいっぱい盛って、瞬間インスタにあげるような

無理をして、「どうせ」続かなくなりそうで。

 

そんな風に思って、億劫で、手が出せなかったブログ。

夏至の今日の日に、「はじめよう」と、

前々から、決めていたのです。

 

あっという間に当日となり、設定も、やっぱり思ったようにならないんですが、

当面は、「続ける。」がテーマです。

こちらのブログも、そのまま置いておきます。

Blackな私が出てきたら、こっち(笑)

あわせて、まるっとわたし。

 

そのうち、かたちも定まってくるかもですが、

それもこれも、続けてなんぼ。ですから。

よい日を選んだと思いまーす。(自画自賛)

 

梅雨の晴れ間。

予報では雨だったから、油断して朝寝していたら、

スマホから流れるメッセージで、ようやく気がついた。

「晴れてますよ。毛布、洗濯してます」

 

最近、朝の起き抜けがすごく悪い。

どれくらい悪いかというと、もう、私はダメダ。

と、起きた瞬間、絶望的な気分になるほど、目が覚めたら、視界が灰色^^;

ずっと灰色ではなくて、ゆるゆる起きて、ゆっくりコーヒーなど飲んでるうちに、

視界に色がついてくるから、なんなんだろうなあと思いながら、

この頃の朝の風景には、少々辟易している。

 

で、朝のメッセージに触発されて、私もシーツを洗濯し、布団を干しながら、

合間に、ネットの情報の海を漂っていると・・・

おおおおっ、いきなりわしづかみにされて、離れられなくなった。

 

夜回り猫。深谷かほるさん作。

http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/419

 

どのページ貼り付けたらいいか、わからないから、今、開いているページを。

ネットって便利だなー。

こうやって、少しずつ、少しずつ、広がってゆきますように。

 

単行本、買おう。

 

 

微妙にタイトルを変えています(苦笑)

 

その時の気持ちの向き方で、目にするブログ、記事が違います。

最近、時間セレブな私は、

このセレクトこそが、引き寄せの法則なのね~と、どうでもよいことに気づき、

人にはどうでもよいことでも、私には大発見だわ!ということで、

微妙にタイトルを替えてみました。

 

前は、「おばちゃん呼びでいこう」だったのですが、

これって、「おばちゃん」で何が悪い。

という、一種の開き直りの気分でつけたタイトルだったのですね。

 

おばあちゃんと言われるに早い(何より孫がいない)

お姉さんと呼ぶのは、八百屋のおじさんか、魚屋のおじさんか。

たまーに「奥さん」呼びされますが、私、配偶者いませんから。

 

私のこと、名前を知らない人が呼びかけるとしたら、

どう呼ぶんだろう?

ま、一般的には、ちょっとくたびれたおばちゃんにしか見えないよね。

みたいな感覚で、スタートしました。

 

で、ここ2~3日目にするのが、やたら「姫」「愛され女子」になる方法。

だったりするので、おやおや?と思ったわけです。

 

「おばちゃん呼び」ってのは、どーせ、私は、そこらへんにいるじゃがいもですよ。

(じゃがいも、ごめんなさい)

って拗ねが入っていたなあ、と。

 

思い切り世間に背を向けて、どーせ、精神病だしとか、稼ぐのもうしんどいしとか、

身体動かないしとか、エネルギーわかないとか。

停滞した自分を持て余して、盛大に拗ねていたなあ、と。

 

じゃあ、なんて呼ばれたら、しっくりするんだろう?

そんなこと考えながら、今日は母の命日。

自己肯定感を思い切り下げてくれた母だったとも思っていますが、

そもそも、もう、母のせいにするのも、自分を下げるのも

止めてにしていい時期よと、誰かが肩を抱いてくれてるのかもしれません。

週末の夜、古い日付けのブログに、うーーーむと唸ってしまった。

 

そっかー。そっかーー。

そっっかあああああああーーーーーーーーーーーーー

 

なんか、痛いわ。

ざわざわするわ。

存在給云々については、よく読んではいたけれども、

どうやったら、存在給を「高められるのか」的な発想でした。

 

「がんばる人」の私は、他人に劣等感を植え付けてました。

他人に手柄をやりたくなかったです(痛い人やわ・・・)

自我くんは異論を唱えたいところでしょうが、

そうだよね。劣等感まみれの長男は、「がんばるお母さん」とセットだったよね。

 

もちろん、それだけじゃない。

いろんな要素がからみまくって、えらくしんどかったよね。お互いにね。

 

それが、「俺の人生、じゃませんといてくれー!」

と遅すぎる反抗期。

よかったじゃないか。

 

彼が自由になって。

 

私も、長男のことだけじゃなく、、いろんな、他の頑張ることにも取りついていたけれど、

それも、どんどん解決?していって、

なんかしらんけど、流れで選んだり、そうなったり、いろいろで。

どんどん、がんばる理由がなくなっていって。

 

今、すごーーく居心地悪いです。

あんまり、することないもん。

というか「活躍」することないんですもん。(えーい、言っちゃいましたー)

 

そっかー。

がんばる対象がなくなって、「称賛される」場がなくなって、すかすかしてるのね。

実際、がんばってた時、称賛されてたかどうかも疑問なんですけれどね(苦笑)

 

経済的に、どうなるの?どうなるの?って言いながら、

ブログ読んで、こんなこと、だらだら書ける時間も余裕もあるんですもんね?

 

なにも落ち込まなくてもいいことなんですけれど。

「ほら、存在給、高いよ」

って状況は言ってくれても、受け取れない自分。

 

心屋お決まりの「ぱっかーん」というより、

認めたくなかったこと、今さらながら言語化してみたってだけですが、

ちゃんと文字にしておこうと思いました。


雨の日曜日。

あちこちのブログを徘徊しながら思うことは、

「この人たち、実名(仕事名も含む)で、顔もさらして、すごいナー」

ってこと。

 

ブログが優秀な宣伝ツールになってる事実もあり、

ほとんど日常吐き出しツールに使ってる私とは、

そもそも動機が違うから、比べること自体へんなのだけれど。

 

営業用webはもってる私も、それがあくまで「営業用」と心得てるので、

Tシャツとぱんついっちょで、うちわあおいでる状態がこのブログ。

そんなうちわネタ、誰もみたがらへんよなーと思いつつ、

なんか、「わかってもらいたい」感があるんでしょーね。私の中に。

 

さて、今週、仕事で、先輩同業の方の紹介で、とある依頼をうけまして。

あちこち情報を集め、事情を整理し、その途中経過を依頼主に報告したわけです。

まあ、初めからやっかいな案件なことは承知されて、その上で、

プロに頼んでこられたのだろうという共通認識はあったつもりだったのですが。

 

不利な状況に、「あなたの言ってることはわからない」「理解できない」

「わたしにどうしろと言うのか」「で、お金は結局、出るのか。出ないのか。」

とイライラと不機嫌をぶつけられました。

 

ああ、言い方悪かったかなと多少反省もしましたが、

元々、ストレスに弱い私。他人のイライラにも、とても弱いのです。

困った人、社会的に弱い立場にある人を助けることに使命感を感じる人も

いらっしゃり、だからこそ、社会もまわっていくんだろうけれども、

私は、自分の資質というものを、最近、少し理解し始めたので、

不得手なことには、関わらない。ことに決めた。

 

あー、なのに。

関わっちゃったよ。

 

お金が出るのか出ないのかって、出ない確率が高いところを

あえて工夫して、やってるんでしょうが。結果なんて、私にもわかんないよ。

 

仕事の紹介人である先輩同業者にも、経過報告をして、もう日曜日は仕事やめ。

と思って、上野千鶴子サンの「おひとりさま」関連の本をぼんやり読んでいたんですけど。

 

その先輩同業者、もう御年85歳になって、しゃきしゃきの現役という方から、

ねぎらいの温かいメールを頂戴しまして。

なんというか。

 

仕事の負担が軽くなったわけではないんだけれども、

私の思い、「わかってくれる人がいる」というだけで、こんなに心強いのか。

励ましとか、共感とか、そういう言葉を超えて、

すーーっと心に届くことってあるんだなーって。

 

思えば、子育ても、介護も、人付き合いも。

その度に、こうやって、周囲の人たちに、見知らぬ誰かのブログに、

「わかってもらって」乗り越えてきたなと。

 

それを受け取れるわたしでよかった、と。(笑)

もう両親とも他界しているけれど、親ほど年の離れた大先輩に、

お気を遣わせてしまって、申し訳ない。

ささくれだっていた私のこころ。

泣いていた子が、もう笑った。

な感じで、あったかいコーヒーでも入れて、読書の続きしようと思います。

ここ数年、もや~っとしていることですが、

思い切って、文字にしてみる。

 

このところ「毒親」なる言葉が割と一般的に使われてます。

というか、そういう風に私のアンテナが向いてるから、目にはいるんだよね。

 

毒親についての出典はこちら「毒になる親」スーザン・フォワード

実は私もだいぶ前にこの本は持っていて、自分は毒親に育てられたのかも~などと

思っていたのですが。

 

長男が、2年ほど前から、私を毒親認定したのか、一切、連絡拒否してしまってる。

 

最初、をいをいと思い、連絡を試みたが、長文のそれはうんざりするようなメールが届き、

現在も、とりつくしまもない。

 

うーーん。

歴史は繰り返されるのね。

 

まあ、私がアルコール依存症であるというのが、一番大きな理由なのだけれど、

言い訳させてもらえれば、小学生の問題バリバリの頃から寄り添った(つもり。これが悪かった?)

大学までの学費はしっかり払って育て上げたし、

借金したこともないし、暴力をふるったこともない。

お酒を飲んで、家事ができなかったことはあるけれどもね・・・・・。

私が体調悪くする度、自分のせいだと自分を責めて、走ってきた長男ではあったけどね。

 

子育てに反省することは多々あれど、それは、世の親なら大なり小なり感じることで。

だんだん親の手を離れて、社会の中で形成されてゆく我が子の性格まで

責任は負えない。

 

で、最近、思うのです。

この子、かなんわー。苦手やわー。

もっと言うと、「腹を割って話せないわー。価値観ちがうわー。ストレスたまるわー」

(言っちゃったよ)

 

親は、いくつになっても親で、子どものことを愛している・・・と思うのは幻想で、

子どもと親の相性もあれば、どーーしても合わないことだってある。

 

「オヤダカラ、イツイカナルトキモ、コドモヲアイサナケレバナラナイ」

 

というのは、これも、ジョーシキの呪縛じゃないんだろうか?

息子が嫌っている以上に、実は私は、この子が苦手かもしれない。

 

で、遠くから幸せを祈るのは、人として自然に思うけれど。

私も子育てヘタですけど、もー、いろいろと、お互いさまじゃないっすか。

 

まだ50代の母親に対して、介護も放棄する。

と言ってのける長男に対して、うーーん。。。と、もやもやしていたけれど、

とりあえず、「おひとりさま」関係の古本、Amazonで注文しちゃったよ。

 

まー、どうにもならなくなれば、行政から血縁に連絡がいくんだろうけれども、

今からネットワークつくっておけば、なんとかなるような気がする。

平和な国、ニッポン。

家族が解散しようとも、ちゃーんと納税してる息子たち、立派じゃないか。

 

ここらでもう、母親の看板おろして、

好きも嫌いも、自由に表現できるヒトになろう。

 

こういう出だしからして、偏見と自分の「上から目線」に、今更ながら気づくなー。

傷がうずくなー。

 

先週、顔合わせがあった訪問看護、今日が第一回目でした。

もう15年ほど前から自分のアルコールに関してのコントロール不能は自覚してましたが、

ネットニュースで、TOKIOの山口メンバー(なんじゃ、この呼び名)の記事を読むたび、

コントロール不能でも、飲んでない時は、普通の人として生活できるし、

才能があれば、仕事もあるし、治療につながったとしても、問題が先送りになる。

「普通の状態」を基本として生活するので、「異常な状態」が放置される。

 

このところ、「普通の状態」と「異常な状態」のスパンが短くなりつつあった私は、

息子3人が無事、社会人となり、納税者となったことを見届けて、

障害年金の申請手続きをして、訪問看護をお願いすることとなりました。

あっ、ついでに(ついでじゃない)障碍者手帳も申請中。

 

「普通」であれば、「並みの普通」でない働きっぷりで、

その後、激しく壊れるという大波も、引退宣言。

 

これで、穏やかに、健やかに、つつましく暮らしていけるなという気持ちと、

運も流れも、もっともっと大きな流れの中で、社会に貢献したいという気持ちと。

・・・少なくとも、今、そのエネルギーはまったくないんだけれども。

 

「福祉のお世話になる人は、楽しんじゃいけない」という、

という価値観が私の中にあるなあ。

受ける側になって、改めて大きなブレーキを感じてる。

 

最近お気に入りのテレビ番組「セブンルール」。

私のセブンルールを一回、ぶっ壊す旅に出かけるとしよう。