通信18-25 一杯のコーヒーを | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート

 


シュウゾウこそ、我が小学校で最悪の性格を持つガキだった。いつも後ろから近づいてきては、相手の耳元でねちねちと悪口を言い続けるんだ。言われた相手がそのしつこさに耐えきれず思わず怒鳴りつけると、「おおっと」という軽い感じで逃げてゆき、しばらくしてまた近づいてきてはねちねちを繰り返す。まったく妖怪みたいなやつだった。

 


相手と口論になると、その相手が何を言おうとろくに聞く事もせず、ただ「いにゃ」と繰り返した。「いにゃ」?うん、何だろうね「いにゃ」ってさ。「否」の音便変化のようでもあるが、ともかく相手の言葉を否定しているのさ。口元を憎たらしく歪め、薄ら笑いを浮かべながら「いにゃ」と繰り返すシュウゾウの顔を見ていると、誰でもが思い切り殴りつけたくなるのだった。特にこの「いにゃ」は、女子に嫌われた。猿のように喚く女子に、にやにやしながら「いにゃ」攻撃を繰り返すさまはちょいとした見ものだった。

 


ある日、糾弾は唐突に始まった。帰りの学級会の時間、クラスのマドンナであるサツキが、「シュウゾウ君は人が何を言っても『いにゃ』と返事をするのでやめて下さい」。クラス中が大喝采する中、教師から「いにゃ」禁止令が言い渡された。

 


次の日、女子にやり込められたシュウゾウは、つい「いにゃ」と言い返してしまい、慌ててその後に「き」という文字を付けくわえた。「いにゃ・・き」。シュウゾウ君、今「いにゃ」と言ったよね。いや、言ってない、俺は「いにゃき」と言ったんだ。「いにゃき」って一体なんだよ?ともかく言った、言わないの、世の中にこれ以上の不毛はないだろうというような戦いが繰り広げられ、その日の学級会の時間、とうとう「いにゃ」と並んで「いにゃき」も禁止された。さらに次の日の学級会では「いにゃぽ」という言葉が禁止語の仲間入りをした。私は未だに、ニュースなどで「いたちごっこ」という言葉を耳にするたびにシュウゾウの顔を思い出しては、くすくすと一人笑っているんだ。

 


本人が意識する事もなく、人々の注目を浴びるような事をしでかした時、最近では「持ってる」という言葉を使うらしい。うん、「持ってる」といえばやはりこのシュウゾウをおいては他にいないだろうね。四年生の遠足の時だった。シュウゾウが袈裟掛けに二本の水筒をぶら下げて現れた。一本にはオレンジジュース、もう一本には何とコーヒーが入っていると言う。コ、コ、コ、コーヒー?われわれの誰もがコーヒーなど飲んだ事もなかった。大人だけが嗜む事のできる魅惑の飲み物、そいつがシュウゾウの肩に掛った水筒には詰められているというんだ。

 


まず、シュウゾウはわれわれに向かって、コーヒーを飲みたいやつはいるか?と尋ねた。そこにいるほぼ全員が飲みたいと答えた。頂上に着くまでの間、自分の言う事をきいたやつには、弁当の時間にコーヒーを飲ませてやると、尊大に言い放った。われわれはシュウゾウの機嫌を損なわぬよう気を使いながら接した。「どんぐりを拾ってきたやつにはコーヒーを一杯」、「ジャンプしてあの木の枝に触れたやつにはコーヒーを一杯」、「シェーをしたやつにはコーヒーを一杯」、ちなみにシェーというのは「おそ松くん」という漫画の登場人物、「イヤミ」が驚く時にみせる奇天烈なポーズの事だ。

 


そんな馬鹿殿ぶりを披露する中、何を思ったかシュウゾウは突然「がにまたで歩いたらコーヒーを一杯」などと訳のわからない命令を下したんだ。うん、独裁者ってやつは大いに間抜けな一面を持っているもんさ。がにまたって何だ?という誰かの質問に、がにまたってのはこうやるんだと、シュウゾウは思い切り自分の足を外側に開いて、うん、ほぼ九十度に足を開いたまま歩き出したんだ。その時だ、その列の横にはみ出した間抜けなシュウゾウの足の甲の上をトラックが通過したんだ。もんどりうって倒れ、悲鳴と共に泣き出すシュウゾウ。慌ててトラックから飛び降りてきた運転手。教師と二言三言言葉を交わすや否や、泣き喚くそのシュウゾウを抱え、病院に連れて行くからとトラックに乗り込む運転手。その時、シュウゾウは泣きながら、われわれに向かって「誰にもコーヒーは飲ませない」と叫んだんだ。

 


最初、何が起きたのかもよくわからなかったわれわれだが、うん、やはり笑ったね。腹が捩じ切れるほど笑った。トラックの窓から泣き顔のまま、両肩にはしっかりと二本の水筒を引っ掛け、恨めしそうにわれわれを見つめる、そのシュウゾウの顔を今も鮮明に憶えている。

 


                                    2018. 4. 25.