青藍山研鑽通信

青藍山研鑽通信

作曲家太田哲也の創作ノート

よろしければ太田哲也ホームページ もあわせて御覧下さい。

縁日の見世物小屋でも覗くつもりでお気軽にお越しいただければ有り難いです。

試聴用サンプルをクリックしていただくと、ひゅうう、どろどろどろと不気味な音が流れてきますよ。

小さなお子さんたちは大人の人と一緒に見てくださいね。


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破れた鞄は無事に修復できたとそう思った。鞄の角がきっちりと形を成すように、鞄の内側に型の代わりに硬い本を入れて、その角に沿ってきっちりとガムテープで固めていった。うん、黒の布製ガムテープを使ったのはやはり正解だったね。まったく目立たないどころか、何やらお洒落なデザインに見えない事もない。ガムテープを使う時、いつもなら乱暴に手で引き千切るのだが、今回は一片、一片、を丁寧に、ほうら、ちゃんと一片毎に句読点を打つぐらいに丁寧にさ、ハサミで切り取ったんだ。

 


出来上がった鞄を見て、ほうっと溜息を吐く。うん、見事だ。これならば音楽の仕事を止めたって、ガムテープによる鞄の修復士として喰っていけるぞ、などと普段は低い鼻も高々に、よし、早速お買い物だなどと浮かれ出たんだ。

 


冬支度はまだまだ続く。八百屋に行き、大根、ジャガイモ、人参・・・さあ、これからは根野菜だ。煮込みの季節だ。今日から我が家の料理人は私ではない。私の部屋を毎冬、十年も暖め続けてくれているストーブさ。それから、おっと、醤油も切れていたんだ。ついでにオリーブオイルも・・・ってな訳で、久々に鞄はぱんぱんに膨らんだ。傷口を案じて、このところなるべく鞄に物を詰めないようにしていたんだ。

 


市場を出てすぐに私が耳にした音、うん、そいつはもちろん「べりべりべり・・・」という不吉な音さ。ああ、ガムテープの間から大根の尻尾が顔を出しているじゃあないか。慌てて市場に戻り、しどろもどろで顔馴染みの肉屋の御主人にコンビニ袋をねだる。ああ、有難うと受け取った袋に、買ったばかりの野菜を詰め込み、そいつを両手に提げ、肩からは満身創痍、おのれの不甲斐なさにぐったりとうなだれている愛用の鞄をぶら下げ、とぼとぼと帰途に着いた。

 


その時私の頭の中に浮かんだ話といえば、もちろん落語の枕でよく使われる棚の話だ。「おい、熊公よ。お前が昨日直してくれたあの棚ね。あれ、もう壊れちまったよ」「ええっ?そんなはずはないだろう」「いや、そう言ったって、実際に壊れちまったもんはしょうがないだろう」「・・・ひょっとしてお前さん、上に物を乗っけたりしなかったかい?」などという馬鹿馬鹿しいものだ。

 


というこの下らない鞄の話は、この十年ほど、だらだらととりとめなく詰まらない話を垂れ流し続けたこのブログの締め括りに相応しいじゃあないか。という訳でこのブログはここでおしまい。実はこのブログのリンク元になっているプロバイダー(このあたりの言語が正確かどうか、まったく自信がないのだが)がホームページのサービスを止めるというので、新しいホームページを知人が作ってくれている最中なんだ。そいつが出来上がってからも、何かしらの文章をどこかに書き続けるのか、それは新しい管理人様からの指示待ちって訳さ。

 


丁度、これが999個目の文章だ。丁度、千個になったら止めようかとも思ったんだが、うん、千個になると何やら達成感が出るかもしれないからね。いつまでも何かに届く事のない9という数字、その9の並びが自分には相応しいと思うからさ。このブログも999個でおしまい。そもそも達成なんて下らない事だぜ。折角、開いている窓をぱたりと閉じてしまうようなもんさ。

 


それにしても、折々、色んな方々を怒らせたブログでもあった。直接に怒りを私にぶつけてくれるような仲の相手なら問題ないが、そうでもない方々、ああ、心からお詫び申し上げます。確か「つんでれ」だっけ、そんな言葉があったと思うけど、不特定多数、いや、私の場合、不特定少数の目にさらされる文章はどうしても読み物として「つん」の部分が全面にでてしまう。幸い、直接に手紙やメールを差し上げる事ができた相手には「でれ」の部分をお見せする事ができたんだが、そうさね、やはりその「でれ」の部分の方がより自分の本心だろうね。

 


体を壊して、仕事がままならない状態になってから書き始めたこのブログ、よほど必要がない限り読み返す事などなかったが、ちょいとこの十年を振り返ってみようか、などと思っている。誤字脱字も直したいしね。後記という形で今の自分の目線から、過去の自分に突っ込みを入れてみたいという気持ちもあるんだ。私の部屋の押し入れ、その中は目も当てられないぐらいぐちゃぐちゃだが、いやいや、このブログのぐちゃぐちゃさに比べると可愛いもんさ。

 


昔、中上健次の連載エッセイの最終回の締めに、これが映画なら音楽が流れるところだという風な記載があったが、中上の頭の中で流れる音楽はさぞかし壮大なものだっただろう。もし、このブログの終わりに音を入れるとするならば、玩具のラッパで「ソ・ド」だとか「ドッソソラッソ・シッド(ラにはフラットが付く)」てなもんだろうね。

 


                                     2018. 11. 22.





 

 

 

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灯油を買いに出掛けたり、根菜を買い集めたりと、ああ、面倒臭いがしょうがない、これから寒くなるからねえなどと一旦は思うんだが、そうだ「冬支度」をしなければと思い直すと、突然いそいそと出掛けたくなる。「冬支度」という言葉一つに騙されて、何となく楽しい気分になってしまう自分の頭の悪さ、別に嘆く事じゃあないさ。どうせやらなければならない事なら、楽しくやるのが何よりだ。頭が悪い事だって、悪いばかりじゃあないぜ。頭を振ると、頭蓋骨の中で小さな脳味噌がからからと乾いた音を立てて転げ回るが、ほうら、それだって何だか楽しげじゃあないかね。

 


冬支度、今年の冬仕度、そいつはいつもと違う。うん、今年は大ネタを準備しているんだ。この十年、自分でも驚くほど小品を書いた。駄菓子屋の店先に並んでいる子供騙しの玩具みたいなやつ。お菓子ならば「コリス」だとか「ゼリコ」だとか、どうみてもハリスやグリコのばったもんさ、そういうちっぽけな小品を嫌というほど絞り出したんだ。

 


何のために?もちろん準備だ。大きなやつを書くための。大きなやつを書いたところで、誰かに演奏してもらえる見込みはあるのかって?いや、そんな事はもういいんだ。ともかく書く。海パンを一つで踊ったりはしないが、小島某とかいう芸人の台詞「そんなの関係ねえ」ってなもんさ。

 


書く事でしか世界を認識できない、うん、それが作曲家ってなもんなんだ。あのセバスチャン・バッハだって、演奏の見込みがないのに「ロ短調ミサ」を書いたんだぜ。セバスチャン・バッハ自身はプロテスタントだが、どうしてもカトリックの様式でミサ曲を書いてみたかったんだろうね。ともかく書けるまで書く、そうして世界を認識したいなどとほざきながらも途中で犬みたいに野垂れ死ぬ、うん、それが作曲家ってなもんだ。

 


作曲家の学生だった経験がある人だったら、その多くが首肯してくれると思うが、大学一年の夏休みに、シューマンの歌曲集「詩人の恋」の譜面なりレコードなりを持ってどこかに籠らなかったかい?調性の世界の足を踏み入れるその第一歩を導いてくれる曲集さ。 

 


シューマンを知ったその時の衝撃は大きかった。私がこの十年、調性を持つ小品にどっぷりと浸かり込んだのは、もう一度そいつを体験するためだったんだ。それは世界の縮図を完成させるために、小さなパズルのピースを一つ一つ嵌めてゆくような楽しい作業でもある。シューマンの歌曲集に関しては、先週も生徒の一人にその話をした。是非勉強してみるといいよと。殊更にレッスンの課題にしようとは思わないが、もし誰かがそれについて質問してきたら喜んで答えるつもりだ。

 


もうすぐストーブに火を入れる。このストーブってやつ、実は私にとっては有難い調理器具なんだ。その上に鍋を乗せ、うん、何だっていいのさ、根菜に肉、豆、ともかくそれをことことと煮詰めながら作曲をする。今年の冬は大曲、そいつもじっくりと煮詰める予定さ。作品が出来上がった頃には春になっている事だろうよ、ああ、私にしては上出来じゃあないかね。

 


金子光晴はパリで人の家に居候を決め込んでいた冬、その冬の間、やる事もなくベッドにもぐり込んでバターを舐めながら数カ月を過ごし、春になったらふわりと体が軽くなっていたそうだ。いいねえ、冬眠をした訳だね。私も今年はそんな冬を過ごそうってな腹積もりさ。

 


ここ二十年、ほとんど毎日同じスタジオで作曲をしたり、楽器をさらったりして過ごしている。そのスタジオにはピアノが置いてあり、そのピアノには、うん、邪魔臭いとしか言いようがないんだが、カバーが掛けてある。何やら気取った布切れが。そのカバーには、うん、これは一体何なんだろうね、ともかく刺繍が施してある。多分西アジアあたりの植物文様だと思うが、私にはその模様がどうしても意地の悪いアラビアの王子が大きなムク犬の背中に乗って万歳をしているようにしか見えないんだ。(下写真及び図参照)いつからそう見えだしたのかはわからない。ともあれその文様が、元々は自分にどう見えていたのか、そいつが思い出せないんだ。どう頑張ってみても、今の私にはアラビアの王子にしか見えない。その王子が薄笑いを浮かべる中、私は作曲をし、楽器をさらう。もう二十年間もそうさ。嫌になるぜ。ああ、もう八時だ。これからまたスタジオに入って、王子に笑われなければならない。

 


                                      2018. 11. 13.




 

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ともかくひどく疲れていたんだ。二部からなる曲を書いていた。ちょいと複雑なやつ。込みいったやつ。ああ、頭がくらくらする。もしかしたら体調でも悪いんじゃあないだろうか。ともかく限界だってんでその原稿を投げ出した。いや、別に放り出したって訳じゃあない。ちょいと中断さ。一日二日、休もうと思ったんだ。

 


早い午後だった。うん、気分転換に出掛けよう。そうだ、鞄を買いに行こう。私という人間には、まったく成長というものはないが、私が日々使っている鞄、その破れ目は確実に成長を続けている。別に定規を使ってその破れ目の大きさを計っている訳じゃないが、うん、普通に見てそいつは大きくなっている。今や、鞄の中身がはっきりと見て取れる。  

 


あれ?穴から覗いている緑の塊はなんだろう?ああ、そいつはケロヨンの首だよ。昔、テレビの人気者だったじゃないか。ケロヨーン、バハハーイとかふざけていたカエルさ。

 


随分と前から気にはなっていたんだ。この破れ目。放置したままだと、最後はどうなるんだろうか?悲劇は突然に現れるのだろうか。道端で、横断歩道で、天神のデパートのエスカレーターの上で、私はいきなり鞄の中身をぶちまけてしまうのだろうか?

 


私のアパートの前を、毎日毎日、福岡高校の生徒がぞろぞろと通る。うん、通学路って訳さ。その中の女性徒の一人が、私が理想とする鞄を肩に掛けていた。思わず呼びとめて、その鞄どこで買ったの?とそう訊こうかと思ったが、いやいや、思い留まったんだ。最近は不審者が子供に声を掛けるという事案がインターネットニュースを賑わせている。先日も下駄をはいた中年男が、通りかかった中学生に「下駄っておかしいかなあ?小学生に笑われたんだけど」などと話しかけて、警察に通報されるという報道を見たばかりだ。

 


うん、ともかく自力で探そうと川端通りに出掛けた。うううん、鞄なんてどこで買うんだろうかなどと思いながら、歩いているうちにいつの間にかキャナルシティーに着いてしまった。実はキャナルシティーから見える赤い欄干の橋と柳の木が好きなんだ。随分と前、初めてこの風景を見た時、あれ?こんなところに観光地なんてあったっけ?ここ、どう見ても温泉街の風情だよね、などとその景色を見つめていたら、一緒にいた相方から、なんでソープランド街を見つめているのよ?とたしなめられた。おっと、これ南新地なのか。

 


鞄を探してるうちに、なんだか目眩がしてきた。おいおい、やっぱりどこか悪いんじゃあないのか。数年前に私を散々苦しめた、あの右方向型旋回症、そいつの再発だけは御免だぜ。ともかく鞄を諦め家に帰り着く。

 


そのまま布団にもぐり込んだ。ぼおっとしたままラジオのニュースに耳を傾けているうちに眠ってしまった。ふと気付くと、ああ、部屋の中は真っ暗だ。ラジオからは何だか懐古談を語る老人の声が聞える。・・・もう、私と同期の俳優たちは皆死んでしまいました・・・、うううん、一体誰だよ、この爺さん・・・その時、初めて主演の話が来たのです。東宝のゴジラという映画でした・・・ああ、何だ、宝田明さんじゃないか。安堵すると、また眠りに落ちてしまった。今度は歌声で目が覚める。うん?ただ命の限りいいいいい・・・誰だ、歌っているのは?ああ、越路吹雪さんだね。うううん、シャンソンってやつはどうも苦手だね、などと思っているうちに、また眠りに落ちる。

 


再び目覚めると、おお、もう東の空が薄らと明けかけているぞ。いててて、と背中の痛みを感じ、おいおい、そりゃあ寝過ぎってやつだよ。ごそごそと布団から這い出して、このつまらない文章を書いている。ああ、あと三個でこのブログも終わりだ。最後は何か意味のある事を丁寧に書こうと思っていたのに、こんな馬鹿な文章にその一つを費やしてしまった。などと書いてみて、「やっぱり猫が好き」というドラマの中で折角、三つの願いが叶えられるというのに、その三つの願いを馬鹿な事に使い果たしてしまった恩田三姉妹の事を思いだした。

 


一つ目は、その願いが叶う事に半信半疑の小林聡美さんが、いい加減な気持ちで「バナナが欲しい」と叫ぶと、目の前にバナナが現れる。その効力を目の当たりにした小林が、今度は本気で「蟹で腹一杯になりたい」と願いを込めると、たちまち苦しいほどに腹が膨れ、蟹臭いげっぷを吐く。最後は三姉妹が、あとの二人は室井滋さんともたいもさこさんだが、最後に残された一つの願いの権利を取り合ってばたばたと騒いでいるうちに、テーブルの上にあった醤油をこぼしてしまう。誰かが「布巾ちょうだい」と叫び、目の前にぼんと布巾が現れ、これで三つの願いは使い果たされたというお話だ。うん、そんなもんさね。

 


鞄を買う事は出来なかったが、帰り道、役に立ちそうなものを百円ショップで見つけた。黒の布製ガムテープだ。これを一本分ぐらいふんだんに使い、鞄の穴を塞げばまだまだ暫くはいけそうじゃあないかね。後は恥を上塗りするように、どんどんガムテープを貼り重ねてゆくだけさ。うん、実はね、私の人生とかいうやつはね、ほとんどこんな風に継ぎはぎする事でできているんだよ。

 


                                     2018. 11. 7.




 

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