通信14-3 闘病記 その3 | 青藍山研鑽通信

青藍山研鑽通信

作曲家太田哲也の創作ノート

 


 闘病記などと何やら偉そうなタイトルをつけてはみたものの、実は病と闘ったなどという立派な意識は微塵も無い。私の体の中で薬っていうやつと、病が勝手に格闘を続けている。それをぼんやりと眺めている私は、干されたまましまい込むのを忘れられた洗濯物のように、ふらふらと風にそよいでいるだけだ。

 


 病院に入る前の私、そいつは馬鹿なりに必死に、しかもとんちんかんな戦いを繰り広げていた。とんちんかん?そうさ、自分が何の病気なのかも知らずに闇雲に棒切れを振り回していたのさ。その頃の私が心の支えとしてすがっていたもの、それは薬局だった。いや、薬局ってのは薬剤師が常駐して、薬を調合して売るところじゃなかったっけ。ならば薬店。そうだ私は薬店をふらふらと巡り続けていたんだ。何とかこの、自身の生存すら脅かす息切れを、咳を、押さえ込もうと。うん、まったく「おまじない」みたいななもんさ。「ちちんぷいぷい」とかいう呪文とたいして変わりはないね。

 


 今こうして振り返ってみると、何という滑稽さ。私は肺にたっぷりと水が溜まっている事も知らずに、うん、その肺水腫ってやつに「ブ○ンS」だとか「アル○ン咳止め」だとかそういう薬で、心不全に対しては「ア○クロン」だとか「麦○冬湯」だとかを使って果敢に立ち向かおうとしていたんだ。溜まりきった腹水に対しては「ガ○ター10」。ああ、何たる大和魂。まるでアメリカに向って竹槍で戦いを挑んだ、かってのこの日本国そのものじゃないか。父よあなたは偉かったってなもんさ。

 


 個室に移され、早速点滴が始まった。おお、これこそがまっとうな治療ってもんだ。点滴が始まるとぐんぐんと体が軽くなるのだが、その代わり頭がずきずきと痛んだ。頭、そいつが内側からぐんぐん膨らんでいる気がした。まさか頭が変形してるんじゃないのか?おいおい、私の空っぽの頭、そいつは今、一体どんな形をしているんだい?まさかドーナツ屋の店先に並んでいるポン・デ・ライオンとかいうキャラクターみたいに頭のまわりがぽこぽこと膨らんでいるんじゃないだろうね?

 


 ちなみにその時点滴に使われた薬は「ミモコール」というものらしいが、私は最初、その名前を「ミノコール」と聞き違え、自分の体の中をみのもんた氏の体液が駆け巡っいるような気がして、大いに不快になったものだ。ともあれこの点滴が続いている間、およそ三日間だったか、私はひたすらにぼおっとした頭を抱えて過ごした。人の言葉がまったく頭に入ってこなかったんだ。お見舞いに来て下さった方々に対して、普通に受け答えをしていたらしいが、実はその会話のほとんどが記憶に無い。看護婦さんのお言葉も右の耳から入ってくるや、たちまちそいつは左の耳から抜けていった。看護婦さんから何かしら有難いご注意をいただくごとに、その言葉はぽっぽっぽっと、まるで煙みたいに私の反対側の耳から抜け出してゆくんだ。

 


 ともあれこの点滴は効いた。ようやく春風が私の体の中を爽やかに吹き抜ける頃になると、すっかり正気を取り戻した。言語が、記憶が、戻ってきたんだ。その頃点滴の薬が変わった。新しい薬、その名は「ドブポン」というんだ。えええ?ドブポン?一体どういう意味なんだ?どうせ合成語だろうが、そもそもどこの国の言葉なんだ?ラテン語?ギリシャ語?ドイツ語?・・・。

 


 そういえば薬店を一巡りするとたちまち頭の中がおかしな商品名で一杯になる。うん、製薬会社ってやつ、こいつらどこまで本気なんだろうね。第二次大戦前、まだ薬事法が制定される前の市販薬の広告、それは凄いものだった。ちょいと昔の雑誌や新聞をめくってみると頭がくらくらするような誇大広告が並んでいた。「せき・こえ・のどに浅田飴」。この有名なコピー、戦前は「せき・こえ・ねつに浅田飴」だった。おいおい、浅田飴のどこに解熱効果があるんだよ。もっと凄いのがカルピスさ。「カルピスはコレラ菌を殺す。カルピス御飲用のご家庭にコレラ患者なし」というコピーがまかり通っていたんだ。ちなみに馬鹿につける薬として「バカナオール」というものが売られていたという記録もある。

 


 われわれが子供の頃、大いに脅かされていたのが蓄膿症っやつさ。どの少年雑誌を開いても、必ず蓄膿症の薬の広告が載っていた。本を読んでいる薄暗い中学生の写真、その写真には「この少年は蓄膿の膿が脳に回って頭が馬鹿になりました」という注釈がついていた。ああ、何と恐ろしい。それにしてもそんな広告を信じるやつが本当にいるのかって?うん、いる。この私がそうだ。薬店の薬で果敢に心臓病に立ち向かい、挙句こてんぱんにのされ、ぺちゃんこになる。そんな無知な輩がここにいるんだ。

 


                        この項続く

 

 

 

 2017. 4. 24.