通信14-2 闘病記 その2 | 青藍山研鑽通信

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作曲家太田哲也の創作ノート

  


 最初に問診を受けたのは随分と若い先生だった。詳しくは憶えちゃあいない、何しろ頭がくらくらと回っていたんだ。多分お決まりの「どうしましたか?」的な質問で診察が始まったんじゃないかと思う。どうしたのか?とそう問われると、うん、それは私の見栄みたいなものなのか、過剰な人様に対する遠慮なのか、つい何でもない風を装ってしまうんだ。思い切りゆとりがある振りをするんだ。「最近、少しお咳がね、はっはっは・・・」だとか「そういえばちょいと息苦しい時もありますな、ほっほっほ・・・」などとにやけてみせる。うん、これは今回の入院全般を通して大いに反省したところだ。人様に窮状を訴える。そいつがきちんとできるようになるべきだと、今はそう思っている。苦しければ、その苦しさを少し大袈裟に、ちょいと水増しして、博多華丸師匠かばってん荒川さんみたいに方言丸出し、目ん玉をひん剥いて、「先生、わたしゃあ一晩中咳がとまりませんばい、息が苦しかですばい、もうすぐ死ぬかもしれんですばい、おーいおいおいおい・・・」と涙でも流してみせるぐらいの事はできるようになるべきだと思った。

 


 色々な検査が終わり、再度診察室に戻ると、担当の先生が代わると告げられる。循環器が専門の先生の元に送られる訳だね。そこで今回丸々お世話になった先生から入院を告げられ、早速最近福岡市内に引っ越してきた妹、彼女とはそれまで二十年以上もまったく音信不通だったんだが、その妹に電話をして必要な物を持ってきてもらう事にした。電話に出てきた妹に急性心不全である事を告げると、妹は大いに驚いた様子で「えっ?もう死んだの?」と訊き返してくる。ああ、何という間抜けさ。もし死んだんだったら今電話している私は一体誰なんだよ?多分、心不全という単語が過去のさまざまな死亡記事とこみで記憶に刷り込まれているんだろうね。それにしても落語の粗忽長屋並みの間抜けさじゃあないか。「おい、熊公、お前の死体を運ぶんだから手伝え」。死体を運びながら熊公、「あれ、この俺の死体を運んでいるこの俺は一体誰なんだ?」・・・。

 


 看護婦さんにボールペンをお借りして、簡単な入院の書類を作る。あっ、このボールペン、ノックする部分にピンクのクマが乗っているじゃないか。その不気味なピンクの顔色をしたクマが、入院という初めての体験に青ざめる私の顔を見てにやにやと笑っている。くそ、人が憂鬱な気分でいる時ににやにやしやがって。うん、でもこの入院は大いに想定内だった。この状態で、ではまた来週来て下さい、などと追い返されたら、私はこの病院を二度と信用しなくなっていただろう。とにかく病院という施設の中に潜り込めば、どこでどう倒れても大丈夫だという安堵感があった。

 


 では病室行きましょうかと微笑む看護婦さんの手には、車椅子のハンドルが握られていた。思わず私は看護婦さんのにこやかな笑顔と車椅子を交互に見返した。こ、こ、こ、これに私が乗るのでしょうか・・・。

 


 うん、慣れないと恥ずかしいもんだね、この車椅子ってやつは。ああ、でも快適じゃあないか。人様のお力で移動するっていうのは。このにわか病人を乗せた車椅子はするすると滑らかに進んでいく。これは意外だった。その車椅子の性能の良さは。ともかくその快適さに身を委ねる事で、私はぐっと病人の側に手繰り込まれるのだった。

 


 連れて行かれたところは、えっ?これが病室かい?横一列にずらりと並んだベッドの一つに私も横たわる事になった。病室っていうのがどういうものか、そんな事はほとんど知らない、でもさすがに知人の見舞いには何度か訪れた事があった。そのいずれの病室のイメージとも随分違うね。うん、目の前の壁は大きなガラス張りで、その向こうは医師の先生や看護婦さんの詰め所のようになっているじゃないか。強いていうならば以前ドラマか映画で見た新生児室のような感じだね。

 


 そこで横たわると、数分もしない内にたちまち咳が溢れ出してきた。その自分でもうんざりするようなうるささに普段なら、周りの人様に申し訳ないと縮こまるところだ。だが、周りのどこからも何かしら音が聞こえてくる。さまざまな電子音、人間の呻き声、ああ、ここは思い切り咳き込んでもいいような空間なのだろうか。さまざまな音に混じって、延々とセバスチャン・バッハのメヌエットの断片、あの有名なアンナ・マグダレーナのためのメヌエットの断片が流れ続ける。

 


 ふとベッドの柵に目をやると、あれ、これなんだろう、楳図かずお先生の漫画に出てくるような未来の植物、そいつを思い出させるような小さななすび状のものがぶら下がっている。手に取って見ると、その頭の部分には扇のような絵が描かれているぞ。あの殿様が「あっぱれ」などと叫びながら開いてみせる扇の絵?いやいや、良く見てみろよ、扇じゃあないぜ。扇なら日の丸が描かれているはずだろう。そこに描かれているのは日の丸なんかじゃあない、ほら、赤十字のマークじゃないか。なるほどこれはナースキャップとかいうやつだね。実物は見た事ないが、メンソレータムの蓋に描かれているあの、「小さな看護婦さん」が被っているやつじゃないか。という事は、ああ、これが噂のナースコールってやつか。実はこの数時間後に、ナースコールのスイッチを押すとバッハのメヌエットが鳴り響く事を知った。

 


 ほどなく個室に移され、そこで始まった点滴に頭のネジを緩められ、途切れ途切れの覚束ない記憶の中で三日ほどを過ごす事になった。

 


                        この項続く

 

 

 

  2017. 4. 23.