富士山に登るには4つの登山道があるそうです。
富士宮ルートでは登るのに5時間半、御殿場ルートでは8時間10分とルートによって大きく異なります。
両ルート共に長短があるのでしょう。出発地からの都合、グループの人数、登山者の体力、休憩場所、途中の景観などでルートを決める事になるのでしょう。
今ではAIでどの道が一番ふさわしいルートであるかが分かるはずです。
宗とする教を求める事と同じようなものではないでしょうか。
人は誰でもが幸せになりたいと思っているはずです。
宗教界においての目的は、煩悩だらけの衆生を如何にして幸せに導くかが大問題のはずです。
各々の仏教宗派において、それなりの答えを出してはいるのでしょうが、組織、集団、宗派の維時を優先に考えてしまい肝心な宗教の目的が後回しになっているのではないでしょうか。
奈良仏教、平安仏教も幾つかあった事でしょうが無くなってしまった宗派もあるのです。
宗派が無くなってしまうまでには激論が交わされた事でしょう。
自然消滅など有り得ないのではないでしょうか。
法然上人の大原談義が有名です。それは法然上人が文治二年(1186)の秋、五十四歳の時、天台宗の 顕真が発起して上人の主張を聴取し、たがいに意見を交換しようとして、三論宗の明遍、法相宗の貞慶 、天台宗の証真や湛がく、さらに嵯峨往生院の念仏房、東大寺大勧進の俊乗房 重源らを洛北大原の里、勝林院に招じて会合を催しました。
世にこの会合を大原談義と呼んでいます。
ときに上人は居ならぶ各宗の碩学を前にして、諸宗の法門、修行の方軌、得脱の有様について述べ、更にこれに対して浄土の法門こそ現今、万人に適したただ一つの教えであることを強調されたのでした。
この主張は「教えを選ぶにあらず、機をはかろうなり」という上人の言葉どおり、いくら教えの優秀さを誇っても、末法の今、人間の性に翻弄されている自分自身に堪え得ない教えであるならば、その教えは存在理由を失ってしまうというものでした。
成等正覚という深い宗教体験に輝きたもう大聖釈迦牟尼世尊が、すでにこの世を去りたもうて、その人格の光は時の経過とともに次第に消え去った現今の末法時、その光に包まれながら直接その教えを仰ぐことができない、いわば教えを乞う師大聖釈尊を持たない自分、しかも人間の性に振り回されている自分(凡夫)にとっては、ただひたすらに時機に適した教え、現在仏であり、しかもすべての 群萌をもれなく救いとろうとなさる阿弥陀仏の本願の御心のままに、その御名を南無阿弥陀仏と高声に称えるより他に、出離生死の道は開らかれないという、上人ご自身の体験からにじみでた意見でありました。
上人のこの主張に対して共感をもっても、 反駁すべき道理は微塵もなく、来聴者に深い感銘を与えて、この会合の幕は閉じられました。
ともかく大原談義は一種の浄土開宗の宣言として、伝統の厚い壁の一画を打ち砕いたことを意味したのです。
それは上人が比叡山を下だられて十二年目の出来事でありました。
絹の道の終着点、文化、思想の究極的な結論の花ではないでしょうか。
にも拘われず仏教宗派や僧侶たちが何故、意見交換や激論を交わさないのでしょうか。
多分、組織を壊したくないとの子供じみた理由からとしか考えられないのです。
大寺院でお札やお守り、おみくじ、占い等がはびこっている様では到底、無理な事と思えるのです。
幾ら僧侶が、お経を上手に称えたとしても人は救われません。
その様な原状の仏教界では、もう待てない以上、まずはAIを駆使して解答を出して貰おうじゃありませんか。
情けない日本仏教界です。
お釈迦様が涙に明け暮れておられるのではないでしょうか。