わたしは今、77歳です。
ふと浮かんだ言葉が「心配御無用、南無阿弥陀仏」と言う言葉です。
蓮如上人のお文に「白骨の御文」があります。
現代文では「人間の浮き草のような相をよくよくみれば、まことに儚いものは、この世での限られた、幻のような一生です。~」から始まります。
その最後の下りに「後生の一大事を心にかけて」という言葉があります。
人間とは哀れな生きものなのでしょう。
後生を、産まれ生きている今、これからの生きている内の生き方、とはとらえないで、後の世と考えてしまうのです。
死んでから後の世の事は、それこそ考えなくていいのです。浄土真宗の「三帰依文」という経文の中に「この身今生において度せずんば、さらに、いずれの生においてか、この身を度せん。」という言葉があります。
この「いずれの生」とは「この世の生ではない、あの世の生」など無い、という事なのでしょう。
しかし、人は哀しいかな、それを疑い、あの世の生もあるのではないだろうかと思ってしまうのです。
昨年、蛸壺型狭心症で心臓が6回程止まりあの世に行ってきましたが、あの世には地獄も極楽もありませんでした。来月は胃癌の手術で胃の全部を摘出しますが、その際、全身麻酔を施すはずですが再度、やはりあの世に地獄、極楽があるかどうかを再度確認したいと思っています。
あの世にはお念佛はないのではないのではないでしょうか。