感動日記 四二三〇 幸せとは感謝の先にあり  令和六年六月四日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

権利ばかりを主張するような人には幸せは訪れては来ません。

心のバックミラーという言葉がありました。

心の拠り所、支え、教えというような意味なのでしょう。

権利を主張する人には心のバックミラーは必要がないのです。

権利の主張の殆どは欲望と自らを見つめる事のない高慢な心から生まれます。

わたし達は、当り前に、時には権利だなどと自らを顧みる事無く暮らしています。

権利を主張している人には仏心は生まれないようです。

幸せとは権利から生まれるのでしょうか、決して権利からは生まれないのではないでしょうか。

感謝の心で生きる、とは大変難しい事です。

感謝という言葉の中には、もしかすると権利というものが微塵もないのかも知れません。

権利に対して義務という言葉もあります。

権利という言葉があるから義務という言葉が生まれたようです。

義務とは「倫理学で、人が道徳上、普遍的・必然的になすべきこと。」ともあります。

他人の事ではなく己の心の問題だと言うのです。

感謝という言葉を調べてみました。「心にありがたく感ずること。」とありました。

稲盛和夫さんは、『生きていることに感謝する”人は自分一人では生きていけません。

空気、水、食料、家族や職場の人たち、さらには社会など、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。

そう考えれば、自然に感謝の心が出てくるものです。

感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。

感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人達に伝えることが、自分だけでなく周りの人達の心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのです。』

松下幸之助さんは『感謝について、“感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていくんです””全て感謝する心があってこそ思いやりの心も生まれ、人の立場を尊重する行動もできるわけです”「有り難い」という言葉の中に感謝という魔法が秘められているのです。』と述べておられます。

幸せには多くの種類があるのでしょうか。

 

もしかすると多くの人は幸せとは感謝の心、有難うの心、お蔭様の心などの中に幸せは秘められているという所で止まっているのではないだろうか。

その先を見つめて下さいというのが佛の教えなのです。