感動日記 四二二四 「君が代」の歌 令和六年五月二十九日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

大相撲で石川県出身の大の里が優勝しました。

おめでとうございます。

表彰式に先だち君が代の斉唱が行われました。

所で日本人でありながら日本国旗は嫌い、君が代は歌わない、天皇はいらない、という人が多くいますがわたしには考えられません。

そのような人はどこかの国の国民になりたいのでしょうか。

反対する革新系の人達は宇宙に天国でもつくろうとしているのでしょうか。

水原弘が歌う「君ことわが命」という歌があります。この君こそわが命だと阿弥陀様が言っているようにも考えられるのと同じように君が代も君とは貴方の事であり代は時と時代の事で、貴方が平和な時代をつくるのですよ、とも考えられます。

君が代の歌詞について調べてみました。うちの事務所に命(ミコト)神社を祭ってあります。

命の源は男性の伊邪那岐命(イザナギノミコト)と女性の伊邪那美命(イザナミノミコト)であるとの確信と直感からお祭りしてあるのです。

この事が真実であろうとは気づきませんでした。

何と君が代の君とは伊邪那岐と伊邪那美の事だとは知りませんでした。

イザナギのキとイザナミのミが合わさってキミだと言うのだそうです。

出典は、醍醐天皇の勅命により905年に奏上された「古今和歌集」の中の祝賀歌です。

「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の歌は905年の時点で「詠み人知らず」となっているくらい、「昔から歌われていた歌」とされています。

「あなた様は千代も八千代も長生きしてください。

小さな砂利が悠久の年月を経て巌となり、さらにそれに苔が生えるほどまでも。」とされています。

わが君とは天皇を指すばかりでなく広い意味で使われるとされ、主君、父母、親族、配偶者、友人なども当てはまります。

自分が敬愛する人への長寿のお祝いの歌とされています。

明治2年に、歌詞が「古今和歌集」の短歌から選ばれ、明治13年に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、その後ドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルト氏によって編曲されました。

明治26年の文部省告示以降、国歌として定着したのです。

そして、平成11年「国旗及び国歌に関する法律」において、正式に日本の国歌として法制化されました。昔から歌われているのに、正式な形になったのはつい最近の事です。

日本の国歌は、育てることを大切にし、人の愛と繁栄と団結を謳いあげた「祝いの歌」です。

日本の国歌の「君が代」は、外国の国歌とは、まるで、違います。

外国の国歌は戦争や血や敵などという戦闘的なイメージが多いのです。

それに比べて日本の国歌は、とても平和な歌です。

京都市右京区の「千代の古道」沿いには、「さざれ石山」と呼ばれる標高97mの小山があり、現在は京都市が管理しています。

嵯峨天皇は、嵯峨院に行幸する途中にこの地で休んだ際、侍従が眼前の岩塊を指して「君が代」の歌を紹介したところ、嵯峨天皇はその石をさざれ石と呼び、行幸の度に鑑賞したとされています。

 

近くで銅鐸が出土していることや奈良時代の和歌などから、この地にあるさざれ石が、君が代に詠われているさざれ石であるとしています。

日本人の心の根っこが明らかになったようです。