感動日記 四二一三 人間とは自らを考えない生きもの 令和六年五月十八日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

最近、仕事で名古屋に行ってきました。

気になったには川が多いという事です。

そしてその川に流れがなく住宅地の方が川面よりも低いのが当たり前だというように感じられました。

何故、さほど考えもせずに住んでしまうのだろうか。

多くの人が住んでいるから大丈夫なのだろうというような、いい加減な判断から住んでしまうのです。

植物などは自らの生存を継続させるために身にあった場所を選び群生します。

 

人間だけが便利さなどの欲望から自らを考えない生きものになってしまったようです。

わたしは新潟県の能生町溝尾という山間部で生まれ育ちました。

最近は都会では超高層マンションが多くなりました高いものでは70階建

で300m以上のものもあるようです。

 

大地に寝っ転がって大の字で大空の太陽を眺めて感激するような感覚が微塵もなくなってしまうのではなかろうか。

高層故に倒れるのではなかろうか、ビルに入る時にはつぶれてしまうのではなかろうかと心配する、人間が生き延びるための直感神経が麻痺してしまっているのではあるまいか。

東京の都営地下鉄大江戸線の六本木駅は地下42mの深さにあるそうです。

 

津波での水没は考えないのだろうか。

東京湾のアクアラインの海ほたるから海をみた時に海の恐ろしさ、怖さを感じないのだろうか。

 

昔、首都の移動など国民の皆が考えた事がありました。

国会議員が皆、津波に襲われて死んでしまった場合の国はどうなるのか等考えたものですが今では国会議員の当人も何も言わなくなってしまいました。

 

国会議員も馬鹿になってしまったのでしょう。

南海トラフの巨大地震がいつきてもおかしくないと言われています。

津浪も最大30~40mだとも言われています。

にも拘わらず皆、人事のように定住しています。

怖くはないのだろうか。

自分の命が危険にさらされていても平気でいられる馬鹿としか言いようがありません。

故に仏教ではその馬鹿さを振り返り見てみなさい、果たして己とは何者なのですか、と問うているのです。