老人のケァーハウスの玄関に数人の老人が車椅子に乗って外を見ていました。
何かの順番待ちなのでしょう。
老人たちは皆、口を開けっぱなしの人や、どう見ても、この世の人ではないように思えたような人でした。
何でその様に思えるのかと言うと目が空ろで、いわば目が死んでいるのです。
暫く前ですが、相模原の介護施設で数人の障碍者の人が殺されました。
この世に生きていて皆に迷惑をかけているのだから早く亡くなった方が社会の為になる、という考えのもとに事件が起きたのです。又、長年の介護に疲れて親を殺して自らも命をたつ、などの事件も多く聞かれます。
この様な事件は人間の根幹にかかわる問題です。
只、単に殺人を行ってはいけない、という結論ではないように思われます。
例えば病気で長年苦しんできた親が、子供に、もうこれ以上、苦しみには耐えられない、この痛さには耐えられない、どうか頼むから私を殺してくれ、と子供に頼む事もある事でしょう。
そして子供が親を苦しみから解放させてあげた、としたならば親思いの子供ということになります。
父の従妹で重度の小児麻痺の女の子がいました。その母親は美しい人でした。その母親が、どうしてこのような子を産んでしまったのだろう、産まなければよかった、この子がいなければ、どんなにか幸せになれたであろうに、子供を殺してしまいたい、と思った事が何度もあったそうです。
その様な醜い気持の己に対して苦しみ抜かれたそうです。そして、ついにこの子供が観音さまに見えた、と言うのです。
当然、彼女の暮らしが様変わりし毎日が明るく、観音さまである子供と共に生きて行くことが嬉しく楽しく過ごしていく事が出来るようになったそうです。
その話を母親である彼女から直接聞いた事がありました。