単純な質問ですが人間には生きる目的があるのでしょうか。
この質問に対して人類は果たして自ら明確に答えられるだろうか。
もしかするとこの答えが明確に出来ない、だからこそ世の中が乱れているのではないだろうか。
政治、宗教の真実が統一されていない事が人生に目標が定まっていない証拠でもあるのではないでしょうか。
人間にとって幸せとは何なのでしょうか。
この一つの質問に対して明確な回答を出せないのが人類の情けない所なのではないだろうか。
法悦という言葉があります。
この法悦こそが人類にとっての目的でありこの自覚こそが人に生まれ今命ある事の礎であると思われます。
法悦とは仏の教えを聞き、それを信じることによって心にわく喜びの事です。
仏の教えを聞いて、心に喜びが生じ、善因となって自己を楽しますことです。
仏教における最大級の幸福は涅槃、そして仏の教えを聞き、実感し、信仰することです。
この喜びを法悦と言います。
仏の教えはあくまで宇宙の真理に目覚めさせることが目的です。
「これが真理なんだ」と気づくことが初めの喜びとなります。
仏の教えを「有り難い」と受け取るだけではなく、仏法修行で己を高めて悟りに至るのが最上です。
具体的に何をするかと言えば「法の実践」です。菩薩道の生き方です。
法とは何か、と言えば、古代インドのダルマに当たる物で、お釈迦様はこれに「現象はただ起きているだけ。
現実を受け入れて、人として正しく生きなさい」との教えを付けました。
実際、悟りを開いたことで無上の喜びを味わった方がいました。誰でもない、お釈迦様です。
昔、父が法悦について話をしてくれた事がありました。
佛さまに遭えた喜びで涙が止まらなくなるような心理状態だそうであり、自らも経験したとの話でした。
どんなデェーターに基づいての話かは分かりませんが、この法悦を経験できる人は三万人に一人位だというのです。
その法悦をわたしも経験した事がありました。
今から十四年前の不思議な出来事でした。
確かにこれを経験できる人は三万人に一人位しか経験できない事だとおもいました。
この法悦が人生の目的だとするならば殆どの人が経験する事が出来ない事なのです。
故に世の中は乱れっぱなしになるのではないだろうか。