感動日記 四一〇四 自覚について  令和六年一月三〇日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

自分と言う字は自らを分かりましょうと言う言葉です。

その自分に目覚めましょうと言う言葉が自覚と言う言葉です。

目の前がぱっと明らかになるという言葉から覚(さと)るという意味にもなります。

それには自分の状態、能力、値うち、生き方などについて、はっきりと知ると言う事なのでしょう。

自と言う字は自(おの)ずからとも読みます。

しかし何故、自ずからが、生まれるのでしょうか。他が有って始めて自が有るのではないでしょうか。

自分とは有る事、難し、の存在です。

過去、未来、無限の時の狭間の中で、無限の、からまりあった綾の糸の中に、有るはずのない命を受けた存在が己なのでありましょう。

しかも人間として生まれた事は、有るはずが無い出来ごとなのです。

自覚とは他の力に目覚めて始めて自分の存在が明らかにされるのではないでしょうか。

思う、自覚するという事は不思議なものです。

もう数年前に亡くなった友人から大きな数珠をいただきました。

その数珠は四国八十八ケ所を数十回も回られた先達さんの遺品なのです。

その数珠が縁あって私が貰い受けたのでした。

今までは左程、意識をしないで使わせて戴いていたのですが、その人の思い、人をすべからく幸せにしたいという思いが詰まっている数珠だとの思いに至った時、急にその数珠が重く感じられ、光、輝いているとの思いになったのです。

さてその数珠は私が亡くなった後、誰に受け継がれるのだろうか。