感動日記 四六十八 弥陀のエレベーター  令和五年十二月二十六日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

前にも書かせて戴きましたが階段を上るのが億劫でエレベーターに乗るようになりました。

一瞬ではありますが待っているにも拘わらず動いているエレベーターの方が主となり止まっているように見え、己の方が動いているのです。

電車などでも停車している電車に乗っていると、追い越しの電車が通りすがり走っているのに逆に自分の方が走っているように思えてしまうのです。停車している自分の電車が動いているように感じてしまいます。

道元禅師の『正法眼蔵』の「生死」の巻に有名な言葉があります。

「 ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。」

 自分の身と心を手放して、仏の家の中に投げ入れなさい。

そうすれば、仏の方から全てが行われるのです、と教えられておられます。

心を仏の家に投げ入れなさいとは仏に己の心を預け任せ委ねなさいというのです。

そのような事は到底不可能である、と思っていたとしても、さきほどのエレベーターの如くにエレベーターが仏さまだと思えば己の自己中心の思いから解放され我が遠のいていくように感じるのです。

 

このエレベーターが大船だとしたならば大勢の人を乗せて彼岸に行けることでしょう。

エレベーターが大船であるならば大乗仏教の教えが叶うようになるのです。

阿弥陀様がそうだ、そうだと笑っておいでになるようです。