寺の入口の掲示板に法語を書いて皆に見て戴く事は日頃の僧侶の勤めのはずです。
しかし最近では檀家から寄付を仰ぎながら立派な鐘撞堂が出来たとしても毎日鐘を衝いている寺は少なくなっているようです。又、掲示板にしても法語を書く事もなく催し事のパンフレットなどを貼ってある寺が多くなっているようです。
僧侶の怠慢が年々増してきているようです。
これも世襲のせいなのでしょうか。
最近は余り見かけませんが法語の掲示板をみてメモした事もありました。
岡崎の專覺寺さんでは御門徒さんが5人で法語検討委員会をつくり2ヶ月に一度ですが法語掲示板を入れ替えるそうです。
「平易な言葉を選び、御門徒だけではなく通りすがりの大人から子供たちまで振り向いてくれる様な掲示板を目指したいです。」と代表の壁谷さんが言っておられます。
最近の孤独な社会においては、優しい言葉で心に感動を与える様な縁を誰でもが求めている時代なのです。