歎異抄第7章に「念仏者は無碍の一道なり。
そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。」とあります。
「念仏者は、無碍の一道なり。」という言葉は、『歎異抄』のなかにある親鸞の言葉です。
「無碍」とは、さまたげ(碍)がないということですから、「念仏者は、何ものにもさまたげられることのない、ひとすじの大道を歩むものである」という意味になります。
さてその碍(さまたげ)は全てにおいて己の心が作っているのです。
他から押し寄せてくる魔界・外道からのものであったとしても受け止めるのは全て吾が心です。
この心を弥陀に全てお任せしてしまうと一切の碍がなくなるというのです。
決して他から押し寄せてくるものではなく自らの心から湧き出る悪魔のことではないでしょうか。
心を弥陀に預け任せ委ねることは容易なことではありません。