感動日記 四四六十 鈴木貫太郎翁 令和五年七月二十四日 | 雨にも負けず菩薩道

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菩薩の心で人生を生きる。

仕事で知り合いの農家の家に行った所、座敷に古びた大きな額が飾ってありました。御主人に聞いた処、終戦時の内閣総理大臣として日本を終戦に導いた鈴木貫太郎の書だという。その額には「戮力協心」(りくりょく-きょうしん)と書かれていました。その言葉を調べてみました。

戮という字は殺す、辱めるという意味の言葉です。しかしその意味とは全く異なった、力を合わせる、という意味もあります。言葉には裏表があるようです。わたしは女性が嫌いだ、という人ほど、女性が好きだということもあります。その四文字の意味は全員の力を結集し、一致協力して任務に当たること。▽「戮」には合わせる、一つにする意があり、「戮力」は力を合わせること。「協心」は心を乱さず、調和をはかること。とありました。

車で二十五分位の所に鈴木貫太郎記念館がありましたがまだ行った事がありませんでした。

記念館の入口には「為萬世開太平」という大きな碑がたっていました。万世のために太平を開く、という言葉で、後々の世の為に平和をつくる、という意味です。

《貫太郎はアメリカと戦争してはならない。世界を見て回った貫太郎のこれが国際認識であった。海軍兵学校卒業後、初の遠洋航海でアメリカに渡り、実感したことがある。この国、いずれ世界一の大国になるだろう。こんな国と戦争したら、日本はひとたまりもない。アメリカに渡った時、サンフランシスコでの歓迎会で次のようなスピーチをした。

「日米戦争は考えられないことである。太平洋は文字通り、太平(平和)の海であり、神が貿易のために造られた海である。この海を軍隊輸送に使うとしたら、両国ともに天罰をうけるであろう。」この考えは生涯かわらなかったが、彼の願いも空しく日本は対米戦争に突入し、太平の海を戦争の海にしてしまうのである。【向学新聞】》

記念館の中の展示品は少なく情けないようでした。

2・26事件で貫太郎が銃弾を受けた時の妻「たか」が語っているビデオがあり聞いてきました。男性の案内人が勉強しているとみえて、よく説明をして下さいました。

帰り際でしたが駐車場の脇に一m位の碑がありました。その碑には妻の「たか」が書いた聖徳太子の言葉である「似和為尊」の言葉が刻まれていました。この言葉こそが平和を願う根本の言葉ではないでしょうか。

人生色々意見も色々ですが、そのままではまとまりがつきません。和とは真実を求めて徹底的に話し合い議論し正しい道を選び出し意見を集約し目標目指しましょうという言葉です。

和、無くしては平和な世界は訪れません。