感動日記 四四五〇 日本民族の終焉 令和五年七月十四日 | 雨にも負けず菩薩道

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ある人が日本民族は何年後にはいなくなる、という話をしていました。

聞いた話ですが杉戸町の泉小学校の新入生が八人だという、その内半数の四人が外国人だというのです。データー的に計算すると何年後には純粋な日本人がいなくなる、という事は自然の成り行きなのでしょう。寂しく悲しいことです。

わたしは、日本人は人間として世界にはなくてはならない民族だと思っています。その訳はやはり歴史の中にあるのでしょう。遡る事一万六千五百年前の縄文時代には世界一の文明が日本に既に花開いていたのです。

縄文土器をつくり勾玉を飾り紋様のある着物を着て優雅に暮していたのです。同じ翡翠を持っている者は仲間として受け入れ敵を想定する事なく村を護る柵もなく集落のまわりには栗や漆の木を植え米まで作っていたのです。多分日本酒も飲んでいたのでしょう。

世界の四大文明が四千年と言われていますが日本文明はその四倍も前から既に古代文明が開化していたのです。

お稽古事や武道にしても多くの日本民族ならではの人類の宝物が詰まっています。

最近中国人の女性が話しているのを聞く事がありますが、言葉が荒くまるで言い合い、喧嘩でもしているような響きの会話です。上品さも優しさの微塵も感じられません。

日本語は世界一、難しいと言われます。英語や中国語は、私は、です、何々という言葉の言い方ですが日本の言葉は、私は何々、です、と何々を考えておかないと言葉にはならないのです。

日本の文字にしても、ひらがな、カタカナ、漢字と三種類もあります。日本には四季があり諸行無常のことわりをあらわし、短歌がうまれ俳句が生まれ、童謡、民謡、都々逸、長唄、小唄と生まれ、浪曲、落語、漫才などがうまれました。

宗教的には僧侶の怠慢から宗教統一は出来てはいませんが人間のはらわたをえぐるような親鸞聖人の教えがあります。

葬式仏教と言われたり、平安時代にさかのぼったかのように加持祈祷、厄除けがさかんでもあります。

思想としては教えの進歩は留まり逆戻りしているようでもあります。金めあての新興宗教に引きずり込まれる多くの人がいます。

日本全体で僧侶は何人位おられるかは分かりませんが自らの組織の安泰を願う事なく新興宗教に引きずり込まれる事のない宗教統一をして欲しいものです。

最近は政治にしても自民党はじめ野党も含め腐っています。世界の外国投資ファンドが日本の企業を買収しています。それを日本政府が推奨し応援するというのです。それが日本にとっての発展に繋がるとしてその案件を内閣として決定したという、日本の国民は外資の為の働きバチ、奴隷になった方が、日本が発展するとはどのような発想から生まれるのでしょうか。刀持って槍持って永田町へ切り込みたい心境で、腹がたって一晩眠れませんでした。

岸田首相はじめ大臣達の脳みそがここまで腐ってしまっているとは自民党は終わりです。自民党が終わりでも世界の救世主、リード役としての日本民族をおわりにはしたくはありません。

それには出来たばかりではありますが参政党の飛躍しか日本を世界人類を救う道はあり得ません。