朝、つがいのカラスが本能の趣くままに東の天空を飛んでいました。このカラスも今は飛んでいるが必ず死んでしまいます。生きるとは死に向かっている事なのでしょう。又逆に死ぬ事は生きる事でもありましょう。だとすると全ての生きものは死ぬ定めを背負って生きているのです。逆に死ぬ事の為に生きているとも言えます。
父が亡くなって二十三年が経ちました。葬儀は十二月の大雪の日でした。享年八十三歳でした。父は満州の炭鉱を経営していた親戚の会社の主任として勤務し母が本国から祖父に連れられて嫁いで行きました。男の子が生まれて一歳位の時に終戦になりました。
ロスケに追われ三十八度線の山を、幼子を抱え三人で捕まったり死んだふりなどして生き永らえ逃げて来ました。実家に着くと間もなく子供の菊正が栄養失調と風邪をひき亡くなってしまいました。
母は実家の寺で療養していたのですが子供が亡くなった事は知らせないでいました。その内に知らせないわけにもいかず知らせましたが離婚話までになってしまいましたが仲人さんが中に入り何とかよりを戻すことになったのでした。
そんな修羅場を生きてきた父が末期の胃癌にかかり見つかってから二か月位で旅立ちました。そんな父がわたし一人の時にベッドに寝ていて「俺は死ぬのは怖くないから後どれ位で死ぬか教えてくれ」と言うのでした。わたしも少しは、迷いはしましたが父を信じていたので医者から聞いたまま後持って十日位だそうだよ、と話してしまいました。今考えると父に本当の事を話した事がよかったかどうか悩み事の一つです。
死ぬのは怖くないとはどのような思いからそのような言葉が出て来たのかは聞かずじまいでした。
歎異抄に「念仏者は無碍の一道なり」という言葉があります。無碍とは障るものがない邪魔するものがないという言葉です。これは外からの障害に対してではなく己の心の魔物に対しての言葉だと思えるのです。
死に対しての恐怖も、お念仏によって超越してしまうのでありましょう。死ぬのは怖くないとの思いで生きたいものです。