明るく生きるとは難しい事です。
明るいとか明らめる、諦めるという意味でもあります。
人生を見極めて悟るというような意味もあるのでしょう。
人生は苦の娑婆と申しますが心の行き先が明確になっていれば苦が薄れてきます。
人生を明らかにしなければ真の明るい人にはなれません、という言葉が明るい人という意味のようです。
妙好人の浅原才市の詩に「世界に自力なし、わが心こそ自力なり」があります。
この才市の暮らしの全てが明るく幸せ一杯なのです。
苦が浄土に転換してしまうのでしょう。
佛さまの世界に突入してしまわなければ明るく幸せな人にはなれないと証明している人でもあります。
人間はこの様な人に成る為に生まれて来たとも言えます。
自らの煩悩の有りかが透けて見えてしまうのでしょう。
透けて見えてしまうとは鏡のようでもあります。
顔は映って見えても心は映ってはいません。
この心を鏡に映す訓練が大切な事のようです。
明治天皇の詩に目に見えぬ神に誓いて恥ざるは人の心の誠なりけり、という詩がありますが凡夫には心を鏡には映せません。
吉崎別院の記念札にも「腹たたば、鏡に出して顔をみよ、鬼の姿が徒(ただ)で見られる。」とあります。
心を鏡に映すにはどのようにすれば映すことが出来るのでしょうか。
それには鏡を暫く観る事です。
当然、瞬間的には不細工ではありますが自分の顔が写し出されます、
自分の顔は素晴らしいと思っている人は余りいないのではないでしょうか。
そして意識して自らの心の内を観ようと心がけさえすれば心が鏡に映し出されるようになるのです。
映し出されると同時にお念仏を称えてみてください。
この修行が大切なことのように思われます。
目に見えないので目をつむって観ることもあります。