人間は真実を求める生きものではないでしょうか。
そして真実の教えが何であるかを迷いながら、この教えこそが宗とする教えであると確信できた時、信心が生まれるのです。
世界には何千、何万という宗教があるようです。
宗教は、どの教えを信じようが自由であるとは言いますが、教えとしての真理は多いはずがないのです。
あるアメリカのホテルでは宗教のない人は人間ではないので、宗教のない人はお泊めする事は出来ません、と断るそうです。
宗教、特に仏教では、己とは何者か、の答えを導きだすことによっての教えとも言えます。
その答えの中に真理があるのです。
その答えを明確にされたのが法然上人の大原問答であり東大寺問答なのです。
この二つの問答こそが仏法の大改革だったのです。
そして法然上人の教えを更に深めたのが親鸞聖人なのです。
己とは何者か、について人間の心の闇と光の全てを明らかにされたのです。
仏教を学ぶという事は、己が何のために生まれているのかを明らかにする教えでもあるのです。
それを求めなければ人間ではないとも言えるのでしょう。
仏教で一番肝心な事は修行と煩悩をどのように考えるか、何が真実であるかを明らかにしなければならないのです。
次に人間の最終的に往きつきたい極地は何処にあるのか、どのような人間が最高の幸せな人間というのかを学ばなければ人間として生まれてきた事の意味が薄明になってしまうのです。
結論的には仏教で学ばなければならないのは法然上人の大原問答と東大寺問答これのみと言っても過言ではないのです。
更に法然上人の教えを深められた親鸞聖人の教えを学ぶ事以外には道がないのです。
そしてその究極として妙好人の世界を目指す事こそが人間としての最高に幸せな世界に到達できるのです。