もう幾つ寝るとお正月、というお正月を楽しく迎えたいという歌があります。
しかし今年の1日は仏滅であり、コロナ禍で1日に亡くなる方もおられる事でしょう。
そしてアメリカでは大統領選で人類の将来の明暗が決定してしまう様な、もっとも重要な月となる事でしょう。
正月は正しい月と書く如くトランプが再選され明るく正しい世界にして戴きたいものです。
わたしも1月25日で満74歳になります。
昔ならばとっくに旅立っていた事でしょう。
筑波大の村上教授が人間の精神的な成長は75歳から始まると言われておられます。
何故なのでしょうか。やはり性欲はじめ多くの欲望が薄まるという事と関係があるのでしょう。
幾ら修行をしたからと言っても欲望を消す事が出来ないのが人間なのです。
幾ら加持祈祷で煩悩を燃やしてしまおうとしたとしても、その一瞬、煩悩が消えたかのように思うだけで、直ぐに煩悩と欲望の芽が吹き出してくるのです。
さて今はこの世に命があるのですが来年の正月に命があるかどうかは分からないのです。
葬式になってしまう身であるかも知れません。
故に今を大切に懸命に生きなさいというのが仏教の教えなのでしょう。
さてその命を懸けるとは何に命を懸けるのでしょうか。
それは多くの教えの中から、これぞと思われる教えを選び出し、ただひたすらに、その教えを信じ、任しきって生きる事なのです。
正月は冥土の旅の一里塚、 めでたくもあり めでたくもなし〜 この言葉は一休禅師が正月に頭蓋骨を持ち街中を歩いたとの逸話です。
数え年で歳を数えた昔、正月には共に一つ歳をとることから家族や友人と祝いました。
しかし一休禅師は、歳をとるとは死が近づくことでもあると、世の無常をあえて正月に説いたのです。
無常を知ることは命のはかなさを知ること。
そして日々を大切に生きる者になる。
しかしそれだけではない。
私の命は私では量り知れないほど多くの命に育まれ今在るのです。
また想像できない多くの命を同時支え育んでいるのです。
この尊い命を背負い私は今生きているのす。
このいのちを「無量壽」と言い、無量壽のいのちに目覚めて生きることを仏さまは勧めておられるのです。
それがお念仏の教えである南無阿弥陀仏の教えなのです。