今年も成人式が各地で行われました。これからの将来を背負う新成人たちです。
親たちは必至で20歳まで育てた事でしょう。
しかし子供たちは親の有難さなどは殆ど考えてはいないのです。
子を持って初めて知る親の恩とも申します。
パスカルが人間は考える葦であると言いましたが、その逆に人間は考えない葦であるからこそ、考える葦になって欲しいとの言葉のようです。成人の日の朝、駅前の掃除をしていたのですが、ゲロが8ケ所も吐いてありました。
誰が見ても顔をそむけたくなる嫌な汚物です。
そしていつもの倍位もたばこの吸い殻などが捨てられていました。
掃除をしている直ぐ近くに多くの新成人が集まり喋り、そしてゴミを捨てているのです。
当然そのような若者を嫌いになり人間嫌いになってしまいます。
しかし人間とはそのような生きものなのです。
清潔で綺麗な街は誰でもが望んでいるのです。
しかしそうは行かないのが人間なのです。
綺麗な心を持ってはいるのですが邪悪な心も持っているのです。
邪悪な心があってこそ純真な心も生まれるのです。
昔、あるペテンシのような人が、空気はただで助かります、ありがたい事です、と笑顔で言っていた事がありました。
ただが当たり前と思って人は生きています。
ゴミだらけの街の時、人は、どうしてこんなに汚いのだろうかとゴミのない綺麗な街にしたい、と思いますが、ゴミが落ちていない綺麗な街の場合には綺麗さの素晴らしさが分からないのです。
やはり人間として大切な事は我が身を振り返り見るという事なのでしょう。
我が身の程を見抜いた時、当たり前の有難さが身に浸みて分かるようになるのではないでしょうか。