天の邪鬼中年の多発性骨髄腫の話し -12ページ目

天の邪鬼中年の多発性骨髄腫の話し

天の邪鬼中年の多発性骨髄腫の話し平成24年2月からの思いを書いていくつもり 飽きっぽいしブログなんて初めて 飽きっぽいから何時まで続けるか判らないけど とりあえずやってみーっと 染色体の転座有り 欠損有りの予後不良タイプ

慢性骨髄性白血病(CML)については、チロシンキナーゼ阻害剤(TKIs)の登場はCMLによる死亡をほぼ100%近く減少させたが、多発性骨髄腫(MM)は、難治性で手ごわい腫瘍だ。しかし、2000年から2010年の間にMM治療薬としてVelcade(ボルテゾミブ)、Revlimid(レナリドミド)、Thalomid(サリドマイド)が承認され、患者に余命が3.5年から7年(中央値)に延長された。今後は、併用療法がMM患者の寿命を改善するものと思われる。

無断掲載だからいけない事は知っているけど

この中央値延長は嬉しい事だ

多くの情報は古い情報 余命3・4年は今は古い

カーフィルゾミブが承認されればまた違ってくる
ヤクルトが販売契約している骨髄種新薬も後数年だろう

カーフィルゾミブの治験いつまでやってんだ

もう世界標準薬なのにな
今日の外来

予想して通り

再発…

IGgの上昇

AとMの下降

フリーライトの差も

開き始める

仕方ない

諦めはしないし

また向かって行くだけ







http://www.hsct.jp/team/1203/tm1.php

ラーナさんお借りしました!!




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癌には

治る

治らない

とは言わないらしい

生存率としか表さない


まー粘っこい癌になったもんだ

生存率ねー

告知の時も確かに

生存率で言われたし

ましてや俺は

短期余命宣告…

いゃ~俺は生きてるし

これで平均的生存率

少しでも統計的に上げたなドキドキ


延命治療

延命治療はしませんに◎

徹底的に苦痛を和らげて欲しいと記入

ただそれだけ

数値化される命

紙切れ1枚の命の修理保証書

スカパーでドクターコトーを連続放送している

現実味のないドラマかもしれない

今の主治医は目を見て話してくれる

コトー先生のように

希望の言葉をかけてくれる事はあまりしない

過度な希望は与えない

でも人としての心は持っている主治医

来年は移動になるんだろうな

入院時についた主治医は機械的だった
一ヶ月で年次移動したがあの先生が続いていたら転院してたかもな♪








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同窓会も終わり サレド効果も何とか出てきてやっと
幹細胞採取が出来るくらいまでこれた

幹細胞を取りやすくする為にエンドキサンを使うか?
それとも白血球を増やすグランのみにするか?
主治医からの打診と話し合いをもった

主治医からは体重から割り出して採取量を算出すると
タンデム移植に必要な量は標準体重の人の1・5が必要
グランのみだと必要量の確保は難しいかもしれない
エンドキサンを使い 尚且つグランで一気に白血球を増やし
幹細胞を採取したいとの事

自分はエンドキサンを使わずグランのみでやりたい旨を伝える
主治医は即断を避け検討会で決めて新たに提案をすると、、、、

翌日の夕方 グランのみで採取をするが取れない時は新たに考える
グラン投与は3日後から四回で採取可能な白血球数値までいけば
幹細胞採取に入るとの事になった それが9月20日くらいだった

グラン投与が始まる その日の夜中から腰痛が酷くなる
造血幹細胞が忙しく白血球を作り始めたらしい
四回投与が終わり 血液検査にていけると判断されるが必要量の確保は
微妙な所と言われた

さていよいよ自家幹細胞採取が始まる事に

予定は二回で採取 一回の時間が4時間

トイレは予め済ませるが採取中は尿瓶で用足し
両腕は極太の針が入るから動かせないが携帯電話の
持ち込みは良いし iPadの操作も良いから持ち込む事に

事前に腕に麻酔テープをして麻痺をさせてから両腕にブスリと
痛くはないけど気分は良くない すげ~太いから

機械が廻り始める 医師は交代で監視役
なるべく会話をしながら様子を観察される
口の周りが痺れ始めるとそれを伝え 何の薬か忘れてたがボタンをポチッとして貰う
痺れは瞬間になくなる これを伝えないと失神する事があるらしい

左腕から血液を抜き分離器に通す 必要な細胞CD34を抜きまた右腕から戻す
こんな作業が二回 結果は1・8回分は取れとの事 今後体重を落とせば大丈夫(*^▽^*)

まー何とかなりましたが 余談ですが体重があると臍帯血移植は無理だそうです

即移植にはならないんだよな~ 院内感染で$天の邪鬼中年の多発性骨髄腫の話し
$天の邪鬼中年の多発性骨髄腫の話し


写真は採取中の自分 もう一枚は写真が逆転しているけど分離器 両方とも写真を消そうとしたがやり方判らず
この病気で1番辛かったのは痛みだったと思う

辛かった事苦しかった事沢山ある

羅列したらキリがない

救急車で運ばれた時救急隊に運ばれたとき

人生で初めて痛みで失禁した

その後オキシコンチンやその他の痛み止めで

じっとしていれば痛みは治まる様になった

しかし病院は検査をしていかないと治療は進まない

圧迫骨折に肋骨骨折 その他全身に出来た腫瘍からの痛み

レントゲンやCT,MRI とにかくあの硬い真っ平らの板に自分では乗れない

検査技師さん看護師さんプロの方々に身体を預けるが

涙もんだった 真っ平らに寝れないから

膝に三角枕 首に傾斜枕 終わればまた総動員で起こしにかかる

場所を移動して寝る検査は辛かった

この前レントゲンに行ってきた 技師さんからここまで頑張ったね~と言われた

あの硬い台に1人で寝れた しかし起き上がりは手を借りたけど

これも成長なんだな


腰椎圧迫骨折 入院直前に一回 入院途中で一回

肋骨骨折多数 今でも痛くなる


現在痛み止めは

オキシコンチン
リリカ
ツムラの漢方

頭痛など頓服でカロナール

レスキュー的にオキノーム