今日は打合せで"I have a dream."ってフレーズを使いました。
私は夢は持ち合わせていませんが、その一般的価値は分かっているつもりです。
ということなのでこのフレーズを使った、と言えます。
そもそも、コミュニケーションの目的ってなんでしょう。
一般的な目的、話す目的、望む話したあとの状態、この辺りのことです。
私は、その目的は、同じ認識を持つこと、と定義しています。いまのところ。
共感するとか、納得するとか、そのへんはもうちょっと後の話。
基本は共有すること。
もし仮に、私の定義が間違いとは言い切れない、とすると、
よくあるコミュニケーションに違和感を覚えます。
その典型は、良くしゃべることを指して「コミュニケーション能力がある」とすること。
他の例はもういいですよね。
いろいろと勘違いはあるものです。
"そもそも論"を適切に使いましょう。
この"そもそも論"、いまちょっとしたマイブームなので、また取り上げると思います。
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成果をあげるにはどうしたらよいかという問いに対する答えは
「いくつか簡単なことを実行することである」ということだった。
①ビジョンを持つことである。努力を続けることこそ、老いることなく成熟するコツである。
↓↓↓↓↓
これ、⑤まであるので、一つずつ取り上げます。
これ、逆に書けば、「老いとともに成熟することは、努力ナシでも可能」となります。
・・・いや、それはなり立たないと思う。
いやいや、当時は成り立っていたんだろうけど、現代はムリでしょう。
ただ老いるだけで成熟とは言い切れない、そんなケースはゴロゴロあるように思います。
年相応の老化を退けつつ、成熟する。
私は、悪くない生き方だと思います。
コレ、いつか書いたように思います。
↓
いつまでも若くありたいとは思わないが、いつまでも若々しくはありたい。