生物学者の池田清彦というやつが、

「特攻隊は犬死です」

とツイートして、大騒ぎになってます。

 

この人は元から共産党支持で、あっち側の人なので、

こういう人には何を言っても意味ないのです。

 

子供の頃、そういう教育を受けて、それをいまだに信じてるというだけ。

そういう方面に対しての、知的な怠け者なんですね。

(実は昭和10年生まれのぼくの母も生前同じようなことを言っていました。)

 

 

 

それで、以前、朝日新聞「素粒子」が「特攻隊とテロを同一視」して、

産経新聞から批判されていたのを思い出しました(→こちら)。

 

この文章の中にフランス人文学者の言葉が使われてたのですが、

ぼくはそれをもう一度読みたくなりました。

モーリス・パンゲという人が強烈な言葉を遣って、

特攻隊員の行動を「理解」していたのです・・・!

 

ぼくは以前、ここにそれを書いてみたものの(→こちら)、

あまりにも凄い表現なので、うろたえてしまいました。

 

それをもう一度よく考えながら、書き写してみたいと思います。

モーリス・パンゲ『自死の日本史』(ちくま学芸文庫)から、です。

 

 

〈それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、

しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。

しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、

次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、

何物にも曇らされることのない明晰(めいせき)な結論と

いうべきものではないだろうか〉

 

〈強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。

しかし、実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、

水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。

心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。

彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。

彼らは確かに日本のために死んだ〉

 

 

・・・どうです。

 

フランス人がここまで考察してくれてるのに、

日本人が「犬死」なんて言ってていいんですか?

 

 

「水晶のごとき自己放棄の精神」

「心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。」

 

ぼくはもう、一言も無いです。