これ、なんのことか判りますか?
〈それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、
しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。
しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、
次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、
何物にも曇らされることのない明晰(めいせき)な結論というべきものではないだろうか〉
〈強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。
しかし、実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、
水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。
心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。
彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。
彼らは確かに日本のために死んだ〉
フランス人文学者のモーリス・パンゲという人が
『自死の日本史』という著書の中で、
特攻隊員の思いをこのように分析してるそうです。
ぼくはもちろんこの人の著書を読んだことが無いのですが、
先日、朝日新聞のコラムが特攻隊員を
自爆テロリストと同じように表現していて、
それを批判する文章にこの部分が引用されてました。
それをもう一度読んでみたのです。
というのは、
初めてフランス人が特攻隊員のこころの内を理解しているような文章に接して、
ぼくはなんとなく目を背けてしまったのです。
あまりにも眩しくて・・・。
でも、もう一度読んでみて、後の方の、
「水晶のごとき自己放棄の精神・・・
心を引き裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。」
という部分に、涙してしまいました。
この人は、ぼくが理解できないようなところまで、言葉を駆使しながら
なんとか表現しようと格闘してる・・・と思ったのです。
日本人の中に、特攻隊員を自爆テロリストになぞらえるような奴が
いるというのに・・・。
『自死の日本史』を読んでみたくなりました。
できたら図書館で見つけたいところです。