選挙ポスター。 | 小太郎です。

小太郎です。

とりあえず、思ったことを書きます。

東京都知事選が始まりましたが、その「選挙ポスター」に関して、色々と、物議を醸しているそうですね。

一つは、NHK党が、二十何人もの候補を立て、その分のポスターの掲示を、他の人に売るという話。

そして、一つは、女性の候補者が、ほぼ、全裸のポスターを掲示し、問題になったという話。

どちらも、「法的」には、問題がないということのようですね。

では、「法的」に問題が無ければ、何をしても良いのか。

先の参議院選挙の時に、「つばさの党」の活動が問題になりましたが、この時も「法的」には、問題がある訳ではないという話だった。

今回の件にしろ、先の件にしろ、「法的」に問題はないということは、そもそも、そのようなことをする人間が出ることを、想定していなかったということなのでしょう。

 

やはり、社会の「倫理観」とか、「民主主義」についての意識が、全体的に、低下をして来ているということなのでしょうね。

だから、「法的」に問題が無ければ、何をしても良いという発想になってしまう。

こういうことをしていると、様々なことを想定して法律を制定することになり、民主主義の活動を狭めることになる。

恐らく、こういう馬鹿なことをする人たちは、そういうことを想定していない。

 

この「法的」に問題が無ければ、何をしても良いという考えは、安部政権、管政権の時も、同じだった。

民主主義の手続きや、これまでの慣例を無視して行われたことでも「法的」に問題が無いと言えば、それが通ってしまう。

これは「民主主義」の軽視ですよね。

こういう政治家を支持すると、今回の問題や、先の問題のようなことが、次々と、起こってくる。

 

これは、政治資金に関する問題もそうで、政治資金の問題が起こっても、政治家は「法的」には、問題がないと、逃れてしまう。

今回、国会で、この政治資金の規正法が改正されましたが、結局、抜け穴だらけという話。

 

さて、この「選挙ポスター」について。

 

個人的には、無くしても良いのではないかと思うところ。

今の時代、あまり意味がないのではないですかね。

この「選挙ポスター」については、ネット、テレビ、新聞などを見ない人にとっては、必要なものだという人が居るようですが、そもそも、「選挙ポスター」にあるのは、候補者の「顔」と「名前」だけ。

その候補者が、どういう候補で、どんな政策を持っている人なのか。

結局、「選挙ポスター」を見ただけでは、分からない。

それでは、意味がないのではないでしょうか。

 

ネットに候補者の情報を載せる。

または、世帯に、一つずつ、候補者を載せた広報誌を配る。

その方が、労力も、お金も、随分と少なくて済むのではないかと思うところです。