大河ドラマ「光る君へ」の第17話を鑑賞。
道長が、悲田院を作るという話で、関白、道隆に拒否され、どうしようかと思っていたところ、妻の倫子に、「私の財産を使っても良い」と言うセリフがありましたね。
そして、「当時、夫婦は、別財産で、道長よりも、倫子の方が、多くの財産を持っていた」という解説も。
鎌倉時代、武家では、女子にも相続権があり、自分の財産を持っていたということは知っていましたが、平安時代の貴族も、そうだったんですね。
それならば、無位無官の下級貴族で、何の財産も無い家の娘であるまひろが、道長の正室になれないのは、当然の話。
さて、関白、藤原道隆。
ついに、その生涯を閉じましたね。
死因は、疫病か、糖尿病か、史実では、よく分からないということのようですが、ドラマでは、糖尿病で無くなったという描写だったようですね。
確か、亡くなった年齢は42歳ということで、この年で、糖尿病で亡くなるというのは、今では、なかなか、考えられない話でしょう。
やはり、医学の発達していない時代。
体調不良の原因も分からなければ、その治療法も分からない。
道隆が糖尿病になった原因は、どうも、酒の飲み過ぎが一因のようですね。
最も、日々、贅沢な食事もしていたのでしょうから、糖尿病になっても不思議ではない。
ちなみに、道長もまた、糖尿病だったよう。
やはり、贅沢が原因なのでしょう。
一条天皇が、道隆の子、伊周ではなく、弟の道兼を関白にする経緯は、どうなるのだろうと思っていましたが、自分が道隆の良いなりだと批判をされているのを陰で聞いているシーンがありましたね。
やはり、天皇として、威厳を持ちたいという気持ちが、伊周を関白にすることを拒否したのでしょうかね。
さて、自分の最期を悟った道隆が、周囲に、死後、伊周、隆家、定子を頼むと言うシーンがありましたが、権力者の最期として、あの豊臣秀吉を彷彿とされる演出でしたね。
しかし、道隆の死後、中関白家は、道長との権力闘争に敗れ、衰退をしてしまう。
権力とは、儚いものですね。
ちなみに、藤原隆家は、あの「刀伊の入寇」で、太宰府で軍勢の指揮を取り、国家の危機を救うことになる。
果たして、大河ドラマでは、描かれることになるのでしょうかね。