国のため。 | 小太郎です。

小太郎です。

とりあえず、思ったことを書きます。

先日、ジャーナリストの桜井さんが、SNSで、

「若者が、国のために、喜んで戦争に行くように、教育をしよう」

という趣旨の発信をし、物議を醸しているとネットの記事で見ました。

 

なぜ、そのような発想になってしまうのか。

個人的には、不思議で、仕方が無い。

 

この桜井さんが、右翼的思想、国家主義的思想を持っているということは、その言動を見ていると、よく分かります。

なぜ、そういう思想を持つ人が、誕生をしてしまうのでしょう。

 

推測をすると、一つは、

「人権意識の低さ」

と、言うことになるのではないでしょうかね。

こういう人たちは、

「国のためなら、国民の人権など、守る必要はない」

という考えを持っている。

 

そして、一つは、

「戦争の実態を知らない」

または、

「戦争の実態を知っていても、その悲惨さに、共感をする能力がない」

ということになるのでしょう。

つまり、

「他者の感情、苦しみ、悲しみへの共感能力が低い」

と、言うこと。

だから、結局、何事も他人事で、平気で、人を戦争に送ろうと考えることが出来る。

 

そして、一つは、

「国民は、国のために命をかけて戦うのが当然」

という意識を持っている。

これは、言い換えれば、

「国民は、自分の国を愛するものだ」

という誤解から来ているものでしょう。

 

そして、最大の誤解は、

「人は、何のために、自分の命をかけて戦うのか」

という目的が、理解出来ていないということ。

 

そもそも、なぜ、人が、自分の「命」をかけて戦うことになるのか。

それは、一義的には「自分の命を守る」ため。

つまり、敵を殺さなければ、自分が殺されるという時に、人は自分の命をかけて戦うことになる。

 

そして、それ以上に、人は、「自分が愛する人を守る」ために命をかけて戦うことになる。

自分が、命をかけて戦わなければ、自分が愛する人が危険にさらされる。

恐らく、戦場に出る兵士の多くが、そう思っているのではないでしょうか。

つまり、戦争は「国のため」というよりも「自分自身」そして「自分の愛する人」を守るためにするもの。

 

そういうことが、恐らく、右翼的思想、国家主義的思想を持つ人には、分からないのではないでしょうか。

 

太平洋戦争で、最初の神風特別攻撃隊の隊長に指名された関行雄大尉は、「自分は国のために死ぬんじゃない。愛する妻のために死ぬんだ」という言葉を、残しているそうです。

戦前の教育を受け、海軍兵学校を出た生粋の軍人にして、そうなのですから、基本的に、人を「国家のために喜んで死ねるように教育をする」というのは、今の情報のあふれる時代、基本的には、無理なことなのではないでしょうかね。

 

時代遅れの幻想の中に居るとしか思えないところです。