大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第41回を鑑賞。
和田合戦。
和田義盛が、討ち死に。
将軍、源実朝は、北条義時に不信感を募らせ、ついに、朝廷、後鳥羽上皇を頼りとし、義時と対立をするという展開。
やはり、源実朝暗殺は、義時が黒幕という展開になるのでしょう。
さて、そもそも、なぜ、源実朝は、後鳥羽上皇との連携を強めようとしたのでしょう。
ウィキペディアを見ると、そもそも、後鳥羽上皇は、源実朝には好意的だったそうですね。
しかし、必ずしも、実朝は、後鳥羽上皇に従順だったという訳でもなく、時には、要求を拒絶したり、上皇のすることに異を唱えたりもしていたよう。
以前、読んだ本に書いてありましたが「鎌倉時代」という言葉から、当時、「鎌倉」が日本の政治の中心だったと思われがちですが、実際は、まだ、京都の朝廷も、強い影響力を全国に及ぼしていた。
「京都・鎌倉時代」とでも表記をした方が良いのではないかという話。
そして、「幕府」は、「武力」を持って朝廷に仕える「権門」の一つという話。
身分的には、やはり、朝廷の方が「上位」にある。
次回は、実朝の「渡宋計画」が描かれるようですが、この頃、実朝の昇進の速さを、義時と大江広元が憂慮し、実朝を諫めますが、実朝は、聞かなかったよう。
なぜ、実朝の昇進が、急速に進んだのか。
それには、当然、後鳥羽上皇の意図が働いているということになる。
なぜ、後鳥羽上皇は、実朝の昇進を急いだのか。
恐らく、将軍、源実朝を朝廷の中に取り込むことで、東国の武家を支配下に置こうという意図があったのでしょうが、ある説によれば、男子の居ない実朝に、後鳥羽上皇の子を猶子に迎える計画があり、そのための環境づくりだったのではないかということ。
また、実朝は「五位中将」という摂関家の子弟を同じ位を持っていたそうで、源氏将軍は、摂関家並の家格を与えられていたということ。
それからすれば、官位の上昇は、それほど、異常なことではないという説もあるそう。
さて、実朝に実子が居ないのは確かな話で、そのために、後鳥羽上皇の子を猶子に受け入れるという話になっていたようですが、そもそも、実朝には、子供をもうけようという意思が無かったようですね。
「吾妻鏡」の中に、実朝と女性とのエピソードというものは、全く、書かれていないということ。
実朝が、「実子を作らない」ということは、周囲の人たちも認識していたのだろうということのよう。
そのために、上皇から猶子を、と、言う話になったのでしょう。
やはり、「身体的」または「精神的」な理由によるものでしょうかね。
しかし、実朝が暗殺されたことで、上皇の子を猶子に、と、言う話も、立ち消えになってしまう。
さて、個人的な推測ですが、もしかすると、公暁による実朝の暗殺は、「上皇の子を猶子に」という話が、動機の一つになっているのかも。
実朝が、上皇の子を猶子にすれば、恐らく、将軍職は、その上皇の子を受け継ぐことになり、自分には回って来ない。
ならば、上皇の子が猶子となる前に、実朝を殺さなければ、と、言う考えがあったのかも。